
フタル酸エステル類は、プラスチック製品を柔らかくするための可塑剤として広く使用されている化学物質です。特にポリ塩化ビニル(PVC)などのプラスチック製品に多く含まれており、建材、電線被膜、フィルム・シート、合皮、塗料、接着剤など多岐にわたる製品に使用されています。
外壁塗装の分野でも、塗料の柔軟性や耐久性を高めるために使用されることがあります。代表的なフタル酸エステル類としては、フタル酸ジエチル(DEP)、フタル酸ジ-n-ブチル(DBP)、フタル酸ジ-2-エチルへキシル(DEHP)、フタル酸ジイソノニル(DINP)などが挙げられます。
2017年に国内で出荷された可塑剤の82%がフタル酸エステル類であり、そのうちの52%がDEHP、43%がDINPでした。これらの物質は通常の使用状況においてはヒトに対する毒性は低いとされていますが、一部の物質については生殖毒性などの健康影響が懸念されています。
フタル酸エステル類の規制が強化された背景には、これらの物質の健康リスクに関する懸念があります。特にDBPやDEHPについては、ラットの生殖毒性に関する評価に基づき、室内濃度指針値が設定されています。
厚生労働省が示した室内空気中の濃度指針値は以下の通りです:
これらのフタル酸エステル類は、室内環境から徐々に揮発し、空気中へ放散された後、ほこりの表面に付着して室内に蓄積することが懸念されています。特に乳幼児は床を這う、手や物を口に入れるという行動により、成人よりもフタル酸エステル類にさらされる機会が多いとされています。
シックハウス症候群やアレルギーの原因と確定された報告はありませんが、フタル酸エステル類は室内環境汚染物質と考えられており、長期的な健康影響について研究が進められています。
EU RoHS指令(電気電子機器における特定有害物質の使用制限に関する指令)では、2019年7月22日から新たに4種類のフタル酸エステル類が規制対象物質に追加されました。これらの物質は以下の通りです:
これらの物質について、電気電子機器への最大許容含有量は1000ppm(0.1%)と定められています。この規制は、EU加盟国内において、指定有害物質が指定値を超えて含まれる電子・電気機器の製造及び販売を制限するものです。
RoHS指令の規制対象となる電気電子機器は部品点数が多く、さまざまな材料・物質を使用していることから、サプライチェーン全体にわたって有害物質の非含有を管理することが製造者の責任となっています。
また、EU REACH規則においても、2020年7月7日からこれの4種類のフタル酸エステルを合計で0.1重量%以上含有する成形品の上市が制限されています。濃度は「可塑化材料」中のフタル酸エステルの4物質の任意の組み合わせの質量を合計して含有量を計算します。
フタル酸エステル類の特徴的な性質として「移行性」があります。これは、フタル酸エステル類が含有している樹脂から別の樹脂へと移る性質を指します。可塑剤として使用されているフタル酸エステルは樹脂と化学的に結合しているわけではなく、樹脂の隙間に染み込んでいるような状態にあるため、比較的容易に染み出して別の樹脂へと移ってしまうことがあります。
この移行性は、塗装現場でも注意が必要です。例えば:
塗装現場では、フタル酸エステル類を含む塗料や接着剤を使用する際、他の材料との接触や保管方法に注意が必要です。特に夏場の高温環境では、移行が促進される可能性があるため、適切な温度管理や保管方法を心がけることが重要です。
外壁塗装業者がフタル酸エステル類の規制に対応するためには、適切な材料選択が重要です。以下に、規制に対応した塗装材料の選択と代替品について説明します。
最近では、フタル酸エステル類を使用していない、または含有量を大幅に削減した「フタル酸エステルフリー」や「低フタル酸エステル」を謳う塗料が市場に登場しています。これらの製品は、特に子どもがいる家庭や環境に配慮した施工を希望する顧客に対して訴求力があります。
フタル酸エステル類の代わりに、以下のような代替可塑剤を使用した製品が開発されています:
これらの代替可塑剤は、フタル酸エステル類と同様の機能を持ちながら、健康リスクが低いとされています。
溶剤型塗料に比べて、水性塗料はフタル酸エステル類の使用が少ない傾向にあります。環境負荷が低く、臭気も少ないため、健康や環境に配慮した施工が可能です。最近の水性塗料は性能も向上しており、耐久性や仕上がりの美しさも溶剤型に劣らないものが多くなっています。
シリコン系やフッ素系の塗料は、一般的にフタル酸エステル類の含有量が少なく、耐久性も高いため、長期的な視点でも優れた選択肢となります。特にフッ素系塗料は耐候性に優れ、メンテナンスサイクルを長くできるメリットもあります。
使用する塗料や接着剤について、メーカーに対してフタル酸エステル類の含有状況を確認することも重要です。多くのメーカーでは、製品の安全データシート(SDS)を提供しており、含有物質について確認することができます。
これらの対応を行うことで、規制に準拠した施工が可能になるだけでなく、顧客に対して「健康と環境に配慮した施工」をアピールすることができ、差別化にもつながります。
フタル酸エステル類の含有量を確認するための分析方法について、施工業者が知っておくべき基本的な情報をご紹介します。
従来のRoHS指令規制対象物質(カドミウム、鉛、水銀、六価クロム、臭素系難燃剤)は、エネルギー分散型蛍光X線分析装置(EDX)を用いて非破壊で簡便にスクリーニング分析を行うことができましたが、フタル酸エステル類はEDXでは検出できません。
フタル酸エステル類の分析方法として、IEC62321-8では以下の方法が規定されています:
これらの分析方法は、EDXに比べると装置やデータの取り扱いが難しく、ある程度の専門性が要求されます。
フタル酸エステル類のスクリーニング分析における判定基準は以下の通りです:
施工業者自身が分析を行うことは難しいため、以下のような機関に分析を依頼することができます:
一部のメーカーからは、フタル酸エステル類の簡易検査キットも販売されています。これらは精密な定量分析はできませんが、現場での簡易的なスクリーニングには有用です。
これらの知識を持つことで、規制に対応した適切な施工が可能になります。また、顧客からの質問にも適切に回答できるようになり、信頼性の向上にもつながります。
フタル酸エステル類の規制は今後さらに強化される可能性があり、塗装業界にも大きな影響を与えることが予想されます。ここでは、今後の規制動向と業界への影響について考察します。
EU REACHのSVHC(高懸念物質)リストには、現在規制されている4種のフタル酸エステル以外にも、合計17種のフタル酸エステル類がリストアップされています。今後、これらの物質も規制対象となる可能性があります。
また、RoHS指令においても、7物質(三酸化アンチモン、テトラブロモビスフェノール、リン化インジウム、中鎖塩素化パラフィン、ベリリウムとその化合物、硫酸ニッケルとスルファミン酸ニッケル、二塩化コバルトと硫酸コバルト)が制限の可能性のある物質としてアセスメントされています。
現在、日本国内では玩具や育児用品へのフタル酸エステル類の使用は規制されていますが、住宅の建材や内装材に対する規制は行われていません。しかし、国際的な規制強化の流れを受けて、今後は日本国内でも建材や塗料に対する規制が強化される可能性があります。
特に、2025年以降に予定されている化学物質規制の見直しにおいて、建材中のフタル酸エステル類についても規制対象となる可能性があります。
規制強化に伴い、塗装業界では以下のような影響が予想されます: