

建設業界で働く皆様、日々の業務お疲れ様です。現場での品質管理や新しい建築材料の選定において、素材の「中身」をどう評価するかは常に重要な課題ではないでしょうか。通常、我々が扱うコンクリートや薬剤の成分分析には化学的な知識が必要とされますが、その中でも「NMR(核磁気共鳴)」という言葉を耳にしたことがある方もいるかもしれません。一見、医療や純粋な化学の分野の話に思えますが、実は最新の建築材料開発や劣化診断の現場では、この技術が密接に関わってきています。
特に今回のテーマである「遮蔽効果 nmr」は、物質の分子構造を決定づける非常に根本的な物理現象です。なぜある原子は磁場を感じやすく、ある原子は感じにくいのか。この微細な差を理解することは、材料科学の基礎を理解することに他なりません。本記事では、難解な数式は極力使わず、しかし物理的な現象の本質はしっかりと掘り下げて解説します。電子がどのように原子核を守り、それがどのように分析データとして現れるのか。そして、それが我々の扱うコンクリートの寿命予測にどう繋がるのか。技術者として知っておくべき「物質のミクロな振る舞い」について、詳しく見ていきましょう。
NMR(核磁気共鳴)分光法において、最も基本的かつ重要な概念が「遮蔽効果」です。これを理解するためには、原子核とその周囲を取り巻く「電子」の動きに注目する必要があります。すべての原子は、中心にある原子核と、その周りを雲のように飛び回る電子で構成されています。ここに強力な外部磁場(磁石の力)を加えると何が起きるでしょうか。
物理学の法則(レンツの法則)に従い、磁場の中に置かれた電子は、その磁場の影響を受けて特定の方向に循環運動を始めます。電子はマイナスの電荷を持った粒子であるため、この循環運動は微弱な電流が流れているのと同じことになります。電流が流れるところには、必ず磁場が発生します。ここで重要なのが、電子の動きによって発生するこの「誘起磁場」の向きです。誘起磁場は、外部からかけられた磁場とは「逆向き」に発生する性質を持っています。
つまり、原子核の立場から見ると、外部から強力な磁場をかけられているにもかかわらず、自分の周りにいる電子たちが逆向きの磁場を作って対抗してくれるおかげで、実際に感じる磁場の強さが少し弱まることになります。これが、電子が原子核を外部磁場から「遮蔽(シールド)」している状態、すなわち「遮蔽効果」です。
この効果の大きさは、原子核の周りにどれだけ電子がいるか、つまり「電子密度」によって決まります。電子密度が高ければ高いほど、発生する誘起磁場も強くなり、外部磁場を打ち消す力が強まります。その結果、原子核は外部の影響を受けにくくなり、「強く遮蔽された」状態となります。逆に電子密度が低いと、遮蔽する力が弱いため、原子核は外部磁場の影響をモロに受けることになります。この電子によるガードの堅さが、NMRという分析手法の根幹を成しているのです。
初心者向けNMR講座:遮蔽効果の基本原理と電子密度の関係について詳しく解説されています
参考)【初心者向けNMR講座②】化学シフトの原理とは?遮蔽効果もわ…
NMRの基礎知識:電子による遮蔽効果と環電流効果のメカニズムに関する記述があります
参考)NMRの基礎知識【測定・解析編】|
前項で解説した遮蔽効果は、NMRスペクトル上の「化学シフト」という数値として直接的に現れます。化学シフトとは、基準となる物質の信号位置から、測定したい原子の信号がどれだけズレているかを表す指標で、通常「ppm(パーツ・パー・ミリオン)」という単位で示されます。このズレが生じる最大の要因こそが遮蔽効果です。
仕組みを詳しく見ていきましょう。NMR装置は、原子核を共鳴させるために特定の周波数の電波を当てます。このとき、原子核が共鳴するために必要なエネルギーは、その原子核が実際に感じている磁場の強さに依存します。
電子密度が高く、遮蔽効果が強い(ガードが堅い)原子核は、外部磁場の影響が弱められています。そのため、共鳴させるためには、より強い磁場をかけるか、あるいは低い周波数で共鳴することになります。NMRのチャート上では、これは「高磁場側(右側)」に信号が現れることを意味し、化学シフトの値(ppm値)は小さくなります。
逆に、電子密度が低く、遮蔽効果が弱い(ガードが甘い)原子核はどうでしょうか。これを「脱遮蔽(だつしゃへい)」または「反遮蔽」と呼びます。この状態の原子核は外部磁場を強く感じているため、共鳴にはより高いエネルギー状態が関与し、信号はチャートの「低磁場側(左側)」に現れます。結果として、化学シフトの値(ppm値)は大きくなります。
このように、化学シフトの値を見るだけで、その原子がどのような電子環境に置かれているかを逆算することができます。「0.9 ppm付近だからメチル基の水素だな(電子密度が高い)」「7.0 ppm付近だからベンゼン環の水素だな(芳香族環電流による脱遮蔽効果を受けている)」といった推測が可能になるのは、すべてこの遮蔽効果と化学シフトの相関関係に基づいているのです。この原理は、未知の化合物の構造決定において極めて強力なツールとなります。
NMR解析編:遮蔽定数と化学シフトの相関関係についての専門的な解説
参考)https://www.chem-station.com/yukitopics/nmr-analysis.htm
化学シフト値について:電気陰性度と分極による遮蔽効果の変動についての記述
参考)https://www.dnp-sci-analysis-ctr.co.jp/documents/o475_142.htm
遮蔽効果の強弱、すなわち電子密度の高低を決定づける最も大きな要因の一つが、結合している原子の「電気陰性度」です。電気陰性度とは、原子が共有結合している電子対を自分の方へ引き寄せる強さの度合いを示す値です。フッ素(F)、酸素(O)、窒素(N)、塩素(Cl)などは電気陰性度が高い原子の代表格です。
例えば、炭素原子に電気陰性度の高い酸素原子が結合した構造(C-O結合)を考えてみましょう。酸素は炭素よりも電子を引き寄せる力が強いため、結合に使われている電子は酸素側に偏って分布します。すると、炭素原子(およびその炭素に結合している水素原子)の周りの電子密度はどうなるでしょうか。電子を酸素に奪われる形になるため、電子密度は低下します。
電子密度が低下するということは、先ほど解説した「遮蔽効果」が弱まることを意味します。ガード役の電子が薄くなった原子核は、外部磁場の影響を強く受けるようになり、いわゆる「脱遮蔽」の状態になります。その結果、NMRスペクトル上では信号が低磁場側(ppm値が大きい左側)へと大きく移動(シフト)します。
具体的な例を挙げると、メタン(CH4)の水素は電子を引っ張る相手がいないため、0.23 ppm付近という非常に高い遮蔽領域に信号が出ます。しかし、ここに塩素が一つ付いたクロロメタン(CH3Cl)になると、塩素の電気陰性度によって電子が引き抜かれ、信号は3.05 ppm付近まで低磁場シフトします。さらに塩素が増えてクロロホルム(CHCl3)になると、7.26 ppmまで大きくシフトします。
このように、隣にどのような原子がいるかによって遮蔽効果が劇的に変化し、それが化学シフトの数値として明確に現れます。建築材料に含まれる有機溶剤や樹脂成分の分析においても、この「電気陰性度によるシフトの変化」を読み解くことで、分子がどのような結合状態で劣化しているか、あるいは不純物が混入していないかを特定する手がかりとなるのです。
官能基と化学シフトの関係:電気陰性度がもたらす局所磁場への影響詳説
参考)【大学の有機化学】¹H-NMRにおける官能基と化学シフトの関…
ここで視点を変えて、建築・土木分野における独自の活用事例を紹介しましょう。NMRというと液体の分析装置というイメージが強いですが、「パルスNMR」や「固体NMR」と呼ばれる手法は、コンクリートやセメント系材料の非破壊検査において非常に強力な武器となります。ここでも「遮蔽効果」や「緩和時間」という物理現象が重要な役割を果たします。
コンクリートの耐久性を左右する最大の要因は「水」です。水分がコンクリート内部の微細な隙間(細孔)をどのように移動するか、あるいは凍結融解の際にどのような挙動を示すかを知ることは、建物の寿命を予測する上で不可欠です。NMRを用いると、コンクリート内部に存在する水分子の状態を、「自由水(細孔内を自由に動ける水)」と「結合水(セメント水和物に化学的に取り込まれた水)」、そして「物理吸着水(ゲル空隙に閉じ込められた水)」に明確に区別して計測することが可能です。
水分子中の水素原子核は、置かれている環境(自由か、拘束されているか)によって、磁気的な応答速度(緩和時間)が異なります。狭い細孔に閉じ込められた水は、壁面との相互作用により運動が制限され、緩和時間が短くなります。この性質を利用することで、コンクリートを破壊することなく、内部の細孔構造がどれくらい緻密か、あるいはスカスカかを評価できるのです。
さらに、最新の研究では、セメントが固まる過程(水和反応)で生成される「C-S-Hゲル(カルシウム・シリケート・水和物)」の構造解析にもNMRが使われています。ケイ素(Si)やアルミニウム(Al)の核をターゲットにした固体NMR測定を行い、化学シフトの変化(遮蔽環境の違い)を追跡することで、セメントの水和が正常に進んでいるか、あるいは混合した混和材が骨材とどのような化学反応を起こしているかを分子レベルで診断できます。これは、従来の一軸圧縮試験のような物理的な破壊試験だけでは決して見えなかった「材料の健康状態」を可視化する技術であり、高耐久性コンクリートの開発や、既存インフラの長寿命化対策において重要な知見を提供しています。
1H NMRを用いたセメント硬化体の細孔構造分析:日本コンクリート工学会論文
参考)https://data.jci-net.or.jp/data_pdf/37/037-01-1080.pdf
重量コンクリートの遮蔽性能と水分移動抵抗性に関する研究論文
参考)https://tokyo-metro-u.repo.nii.ac.jp/record/7860/files/igawa_hideki_fulltext.pdf
最後に、これらの遮蔽効果や化学シフトを測定する上で欠かせない「基準」について触れておきましょう。NMRの測定では、絶対的な磁場の強さを知ることは困難です。なぜなら、使用する超伝導磁石の磁場強度は装置ごとに微妙に異なり、また時間とともに極めて微小ながら変動する可能性があるからです。そこで、相対的な比較を行うための「ゼロ点」となる物質が必要になります。これが「TMS(テトラメチルシラン)」です。
TMSは、ケイ素(Si)原子に対し、4つのメチル基(-CH3)が正四面体状に結合した構造を持つ化合物です。なぜこれが基準として選ばれたのでしょうか。理由は大きく分けて2つあり、どちらも「遮蔽効果」に関連しています。
第一に、TMSに含まれる12個の水素原子はすべて化学的・磁気的に等価な環境にあります。これにより、非常に鋭く強力な一本の信号(シングレット)を与えます。基準として使うには、信号が複雑に分裂していては使い物になりませんが、TMSはこの点で理想的です。
第二に、中心にあるケイ素(Si)の電気陰性度が炭素(C)よりも低いという点です(Si: 1.90, C: 2.55)。ケイ素は炭素に対して電子を与える性質があるため、TMSのメチル基にある水素原子の周りの電子密度は非常に高くなります。電子密度が高いということは、これまで説明してきた通り「遮蔽効果が極めて強い」ということです。このため、TMSの信号は、一般的な有機化合物の信号よりもさらに高い磁場側(最も右側)に現れます。
NMRの世界では、このTMSの信号が現れる位置を人為的に「0 ppm」と定義しています。そして、他の化合物の信号がTMSからどれくらい左側(低磁場側)にズレているかを計測します。通常の有機化合物に含まれる水素は、TMSの水素よりも電子密度が低い(遮蔽が弱い)ため、ほとんどの場合、正の値(0 ~ 14 ppm程度)を示します。もしTMSよりもさらに遮蔽効果が高い特殊な環境があれば、マイナスの値が出ることもありますが、基本的には「TMSが最も遮蔽された状態」としてスケールの端に置かれているのです。
建築現場で使う「測量のベンチマーク(基準点)」と同じように、目に見えないミクロな世界でも、信頼できる基準点(TMS)があるからこそ、私たちは複雑な分子構造や材料の劣化度合いを正確に地図化(マッピング)できるのです。
化学シフトと基準物質TMS:電子密度と磁気遮蔽の詳細な解説記事
参考)NMRの化学シフト(ケミカルシフト)・基準物質・電子密度・磁…