
スマートビルガイドラインは、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)とデジタルアーキテクチャ・デザインセンター(DADC)のスマートビルプロジェクトが2023年5月に策定した包括的な指針です。このガイドラインは、高度な制御機能を有する建物であるスマートビルの価値向上と普及を目的としています。スマートビルは、Society5.0で目指すスマートシティの重要な構成要素として位置づけられており、サイバー(デジタル)とフィジカル(実体)を融合させることで、建物が「スマートシティの中で空間に働きかける主要なインタフェース」となる役割が期待されています。
ガイドラインは、総合ガイドライン、システムアーキテクチャガイドライン、構築・運用ガイドライン、データガバナンスガイドラインの4つで構成されており、設計、実装、運用、メンテナンスに関する指針を提供しています。建物のオーナーや管理者、建築関係者がスマートビルによる恩恵を十分に理解し、導入を加速させるとともに、新たなビジネスモデルの創造を促進することを狙いとしています。
IPA公式サイトのスマートビルガイドライン詳細ページ(ガイドライン全文のPDFダウンロードが可能)
スマートビルのシステムアーキテクチャは、フィールド層、データ共有・管理層(ビルOS)、アプリケーション層の3層構造で構成されています。フィールド層では、照明、空調をはじめとするビル設備システム、IoT機器、中央監視設備、それらをつなぐ通信ネットワーク、さらにビルOS連携ゲートウェイ(連携GW)などから構成されます。連携GWは、ビルの設備稼働データの大半を一元的に収集してデータ共有・管理層に送信する重要な役割を担います。
データ共有・管理層の中核となるビルOSは、建物・設備に関係するさまざまなデータを蓄積・加工・分析してアウトプットを提供するデジタル基盤です。ビルOSが導入されることで、従来のビルでは個別にデータを抱えていた各システムが、共通のデータプラットフォームを通じて連携できるようになります。アプリケーション層では、就業者アプリや設備クラウド、IoTシステムなどが配置され、ビルOSから提供されるデータを活用して多様なサービスを提供します。
この3層アーキテクチャにより、ソフトウェアとハードウェアが分離され、機能がデカップリングされることで、従来からの管理や運営の業務を効率化させるとともに、快適性の向上や省エネルギー化、持続可能性の実現に貢献します。
スマートビルでは多様なデータが収集・蓄積・分析・加工・連携され、様々な目的に使用されるため、データガバナンスが極めて重要です。データが円滑に流通し利活用されることで新たな価値提供が行われるためには、データに関係するステークホルダーの間に信頼が構築されることが欠かせません。データガバナンスガイドラインでは、「データに関する権利」「データの品質特性」「パーソナルデータの取り扱い」の3つの基礎的事項について詳細に解説されています。
データに関する権利については、データ提供型、データ創出型、データ共用型(プラットフォーム型)の3つの契約類型が示されており、それぞれの利用権限や知的財産権の帰属、派生データの取り扱いなどを契約で明確にすることが求められます。データの品質特性では、正確性、完全性、一貫性、信憑性、最新性などの特性を確保するための具体的な手段が示されています。
パーソナルデータの取り扱いについては、個人情報保護法をはじめとする関連法令の遵守はもちろん、利用規約やプライバシーポリシーを通じてデータ主体への説明責任を果たすことが重要です。ビルOSがデータ連携基盤として機能する場合、個人データの第三者提供の同意管理やデータ提供先の管理などを継続的に行う必要があります。
スマートビルでは、IoTデバイスやネットワーク接続機器が増加することで、サイバー攻撃を受けるリスクが高まっています。経済産業省は2019年6月に「ビルシステムにおけるサイバー・フィジカル・セキュリティ対策ガイドライン」を策定し、2023年には第2版を公開しました。このガイドラインでは、事前対策でサイバー攻撃による被害を抑止し、サイバーインシデントを受けた際の損害を最小限に抑え、復旧にかかる時間とコストを削減するための取組(インシデントレスポンス)について詳細に解説されています。
具体的なセキュリティ対策としては、ネットワーク(クラウド、情報系ネットワーク)のセキュリティ確保、防災センター(中央監視室)の物理的セキュリティ、機械室・制御盤ボックスのアクセス制限、配線経路(MDF室、EPS、天井裏ラック)の保護などが挙げられます。また、データ通信経路のセキュリティを確保し、データ送受信者の相互認証により送受信相手の成りすましを防止することも重要です。
スマートビル共創機構では、サイバーセキュリティ機能とデータガバナンス機能の両面から、スマートビルにおける安全・安心を確保するためのセキュリティ対策を検討しています。建設段階から運用保守段階まで一気通貫でサポートし、セキュリティポリシーの策定、サイバーセキュリティの設計、図面化、開発・テスト、遠隔監視による運用保守へと展開する包括的なアプローチが求められています。
経済産業省のビルシステムにおけるサイバー・フィジカル・セキュリティ対策ガイドライン(ガイドライン本文と別紙のダウンロードが可能)
スマートビルを実現するためには、BEMS(ビルエネルギー管理システム)をはじめとする多様な技術の活用が不可欠です。BEMSは、人や温度・湿度を感知するセンサーで電気や空調を制御することで、必要な箇所だけに適切な電気の供給及び空調を稼働させ、省エネルギー化を実現します。IoTセンサーを活用することで、電力・水・ガスの使用状況を可視化し、エネルギー消費の最適化を図ることができます。
快適な室内環境の維持も重要な要素です。温度、湿度、照明、空気質などを自動制御し、ビル利用者にとって最適な環境を提供することで、就業者の生産性向上や満足度向上に貢献します。人的資本経営が推進される現在、就業者への投資は企業価値向上に直結する戦略投資であるという認識が広がっており、魅力的なオフィスの整備に投資する企業が増加しています。
省エネルギー化の観点では、ZEB(ネット・ゼロ・エネルギービル)の概念も重要です。ZEBは、省エネや再生エネルギーの活用などにより、年間の一次エネルギー消費量の収支をゼロにすることを目指す建物です。スマートビルでは、大規模データを基点としたAI技術・エネルギー管理技術を駆使することで、従来にない高度なエネルギー管理が可能となり、持続可能性の実現に貢献します。データ連携基盤を通じて収集された膨大なデータを分析することで、設備の最適運用方法を見出し、継続的な改善を実現できます。
スマートビルガイドラインでは、スマートビルが果たすべき役割を「人々に価値を提供し続けること」と明確に定義しています。外界やニーズは変化しますが、スマートビルは空間や環境、それらのデータを介して都市全体と協調しつつ、変化に柔軟に対応する能力を持ち、常に人々に価値を提供し続けることが期待されています。具体的には、ビル外のデータやアセットをスマートビル内のアセットと組み合わせ、多様なニーズに対応して人々の営みを活気づける空間やサービスを提供することが求められます。
就業者アプリは、ビルで働く人々に直接的な価値を提供する重要な要素です。就業者アプリを通じて、会議室予約、館内ナビゲーション、空調・照明の個別制御、健康管理、コミュニケーション促進など、多様なサービスを提供できます。従来のビルとスマートビルの違いは、共通のデータプラットフォームであるビルOSが導入されていることで、データ連携のためのインタフェースをモジュール単位で必要に応じて追加できる点にあります。
スマートビルが普及し、ビルOSの導入が進めば、就業者アプリを導入しやすくなり、さまざまなビルで就業する人々の利便性に貢献することになります。日本政策投資銀行と価値総合研究所が2024年に行った調査によると、成長企業の54.0%が「魅力的なオフィスの整備(利便性や快適性向上に資する設備)」をオフィス変更の理由として挙げており、就業者向けアプリの導入は、単なる付加サービスではなく、企業価値を高める重要な要素となっています。