
四合院は、その名の通り四つの辺に建物を配置し、中央に庭園(中庭)を設ける中国伝統の住宅建築様式です。方形の中庭を囲んで、東西南北に建物を配置する構造が特徴的で、1棟3室を基本とし、四方に計4棟を配置します。この建築様式は、少なくとも3000年以上の歴史があり、中国各地に様々な形式が存在しますが、北京の四合院が最も代表的とされています。
四合院の基本的な構造は遼代(916年~1125年)に形成され始め、その後の金、元、明、清代を経て現在の形に発展しました。現存する四合院の多くは明・清時代から1930年代にかけて建てられたものです。
建築上の最大の特徴は、中庭を中心として「口」の字型に建物を配置することです。この構造により、家族のプライバシーを守りながら、採光や通風に優れた居住空間を実現しています。四合院は外部に対して閉鎖的な印象を与えますが、内部は開放的で機能的な空間となっています。
四合院の規模は様々で、小さなものは一つの中庭だけのものから、大きなものは五つの中庭を持つものまであります。また、縦方向だけでなく横方向にも拡張可能な柔軟性を持ち、紫禁城のような宮殿建築も基本的には四合院の形式を拡大したものと言えます。
四合院の建物配置には、中国の伝統的な家族制度や尊卑思想が反映されています。各建物には明確な役割があり、家族の序列に従って住む場所が決められていました。
北側に位置するのが「正房」(主屋)で、一族の主人夫婦が住む最も格式の高い建物です。屋根も他の棟より高く作られ、通常3つの部屋と2つの別室があり、規模によっては7~9部屋を持つものもあります。中央がリビングで、左右が寝室という配置が一般的です。
東側には「東廂房」(東棟)があり、主人の両親や長男が住みます。西側には「西廂房」(西棟)があり、次男が住むのが一般的でした。この配置は、東が西より上位とされる中国の伝統的な価値観を反映しています。
南側には「倒坐房」(南棟)があり、使用人やコックが住み、厨房や厠(トイレ)が設けられていました。また、特別な事情がある場合(未婚の娘や離婚した娘、男子を産まなかった寡婦など)は、この南棟に住まわされることもありました。
大規模な四合院では、「後宅房」と呼ばれる区画があり、これは未婚の娘や女性使用人の居住空間として使われました。この区画は四合院の最も奥に位置し、プライバシーが確保されていました。
このように、四合院の建物配置は単なる機能的な区分ではなく、中国の伝統的な家族制度や序列を空間的に表現したものであり、建築を通じて社会構造が可視化されていたのです。
四合院の中心となる中庭(院子)は、単なる空き地ではなく、家族の生活において多機能な役割を果たす重要な空間です。中庭には通常、「十」の字型の通路が設けられ、四方の建物へのアクセスを可能にしています。
中庭の機能は多岐にわたります。まず、採光と通風の役割があり、四方を建物で囲まれた構造でありながら、中庭があることで十分な日光と風を取り入れることができます。特に北京の気候に適応した設計となっており、夏は涼しく冬は暖かい環境を作り出します。
また、中庭は家族の憩いの場としても重要でした。花や木を植え、石を置き、美しい庭園として整備されるのが一般的です。特に北京の四合院では、ハナカイドウを植えたり、大きな水甕で金魚を飼ったりする習慣があり、これには良い意味が込められていました。
さらに、中庭は家事労働の場としても活用されました。洗濯や食事の準備など、日常的な作業が行われる実用的な空間でもあったのです。誰かが中庭で家事や休憩をしている場合は、他の家族は外廊下を使って通行するという暗黙のルールもありました。
中庭はまた、家族の団らんや来客との交流の場としても機能し、特別な行事や祭りの際には、家族全員が集まる場所となりました。このように、四合院の中庭は単なる通路や空き地ではなく、家族の生活を支える多機能な空間として、四合院建築の核心的要素だったのです。
四合院の設計と配置には、中国の伝統的な風水思想が深く関わっています。風水は自然の気の流れを重視し、人間の住まいをその流れに調和させることで幸福をもたらすとされる考え方です。
四合院は通常、南北を主軸として建てられます。これは風水的に南向きが最も良いとされるためで、正門は南側に設けられるのが一般的です。この配置により、夏は涼しい風を取り入れ、冬は冷たい北風を防ぐという実用的な効果もあります。
特に理想的とされるのは「坎宅巽門」の配置です。これは、正房(主屋)が四合院の北側、つまり易の八卦でいう「坎」(かん)の位置にあり、大門(表門)が東南隅の方向、八卦でいう「巽」(そん・たつみ)の位置にあることを指します。この配置が風水的に最も理想的であるとされていました。
四合院の入口部分にも風水的な配慮がなされています。大門を入ると、すぐに「影壁」(目隠し壁)があり、直接中庭が見えないようになっています。これは悪い気が直接入ってくるのを防ぐためとされ、同時にプライバシーを守る役割も果たしていました。
また、中庭の配置や植栽にも風水的な意味があります。中庭に植える木や花、置く石などにも吉祥の意味が込められ、家族の繁栄や健康を願う象徴として選ばれていました。特に金魚を飼う水甕を置くことは、富と繁栄の象徴とされていました。
このように、四合院の設計には風水思想に基づく様々な工夫が施されており、住む人々の幸福と繁栄を願う中国の伝統的な世界観が建築として具現化されていたのです。
現代中国、特に北京において、四合院は貴重な文化遺産として認識されていますが、都市開発の波の中でその存続は大きな課題となっています。かつて北京市内に無数にあった四合院は、現代化の過程で多くが取り壊され、高層ビルやマンションに置き換えられました。
清朝崩壊後、多くの四合院は所有者が変わり、一つの四合院に複数の家族が住む「大雑院」と呼ばれる集合住宅へと変化しました。また、中華人民共和国成立後には、かつての貴族や裕福な一族の大きな邸宅が国家機関の職員住宅として割り当てられ、「深宅大院」と呼ばれるようになりました。
現在、残存する四合院は大きく価値を上げており、不動産市場ではプレミアム価格で取引されています。また、多くの四合院はレストランやホテル、商業施設として再利用され、観光資源としても注目されています。
北京市政府は、都市の歴史的特徴と伝統的な生活様式を保存するため、一部の胡同(路地)や四合院を文化財として保護する政策を実施しています。「北京市文物保護単位」として指定された四合院には、特別な保護措置が講じられています。
しかし、保存と現代的な生活の要求のバランスをとることは容易ではありません。多くの住民は、設備の整った現代的な高層アパートへの移住を望んでおり、古い四合院の維持管理は経済的負担となっています。一方で、四合院の持つ文化的価値や伝統的な生活様式を次世代に伝えることの重要性も認識されています。
四合院の保存活用においては、単に物理的な建物を保存するだけでなく、そこに込められた生活文化や価値観を含めた総合的な保存が求められています。観光資源としての活用や、現代的な設備を備えた居住空間としての再生など、様々なアプローチが試みられていますが、伝統と現代のバランスをどう取るかは今後も継続的な課題となるでしょう。
四合院は単なる建築物ではなく、中国の伝統的な家族観や社会構造、美意識を体現した文化的遺産であり、その保存と活用は現代中国のアイデンティティにも関わる重要な課題なのです。