武家屋敷特徴と構造から見る格式と防御機能

武家屋敷特徴と構造から見る格式と防御機能

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武家屋敷特徴

武家屋敷の主な特徴
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書院造の格式空間

床の間、違い棚、付書院などの座敷飾りで身分と権威を表現

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式台玄関の配置

身分の高い来客専用の出入り口として武家の格式を示す

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防御機能を持つ構造

石垣、生垣、曲がり道など防衛を考慮した配置と設計

武家屋敷とは、武士が所有した邸宅のことで、1万石以上の領土を持つ大名が藩の規模に応じて拝領した土地に建てられた屋敷を指します。江戸時代には江戸の60%もの土地を武家屋敷が占めており、上屋敷、中屋敷、下屋敷の3つに分類されていました。上屋敷は江戸城に近い位置に立地し大名家の家族が住み、中屋敷は隠居した藩主や世継ぎの住居として、下屋敷は別荘や物資の貯蔵庫として利用されました。

 

武家屋敷の規模は石高によって幕府が定めた基準があり、1万~2万石で約2,500坪(約7,562平方メートル)、5万~6万石で約5,000坪、10万~15万石で約7,000坪とされていました。大きな藩では加賀藩の下屋敷が約21.7万坪(東京ドームの約14倍)、彦根藩下屋敷が約18.2万坪など、さらに広大な敷地を拝領していました。江戸における武家屋敷の総数は約600にも及び、旗本・御家人の屋敷地を合わせた武家地の総面積は約1,200万坪に達したと言われています。

 

武家屋敷の間取り構成と空間配置

武家屋敷の間取りは、身分制度を反映した明確な空間構成が特徴です。大名屋敷の上屋敷では「御殿空間」と「詰人空間」という二重構造が採用されていました。御殿空間は政務や来客対応を行う「表御殿」と、藩主一家や女中が生活する「奥御殿」で構成され、庭園を設けた屋敷の中心となる場所でした。一方、詰人空間には家臣の住居である長屋や御厩(馬小屋)などが設けられていました。

 

加賀藩前田家の上屋敷・本郷邸(現在の東京大学)の間取りを見ると、中央に大きな御殿と庭園がある御殿空間と、その周囲に細長い建物がびっしり並んでいる詰人空間という構造がはっきりと確認できます。表御殿には、入口の式台から進むと来客者と対面する「竹之間」をはじめ、「大書院」「小書院」といった書院造の広間が配置されていました。表御殿の奥に位置する奥御殿は、藩主が休む「御寝所」の他、女中の生活の場である「長局」を中心に構成されており、多くの女中達が暮らしていたことが分かる間取りとなっています。

 

上級武士の武家屋敷では六間取りの方丈形式が採用されることが多く、これは古くから禅宗寺院に見られた形式です。山口県萩市の口羽家住宅(石高約1,000石)では、「玄関の間」から「控えの間」があり、「居間」と「二の間」と続き、「座敷」と「奥座敷」、居間の横には東側に突き出た台所が配置されています。座敷にある床の間の横には、押入れと見せかけた非常口があり、非常時に逃げるために造られたもので扉が外につながっているという防御機能も備えていました。さらに座敷と奥座敷の間には「相の間」があり、来客時の非常事態に備えて家臣が控えるために造られた空間でした。

 

石川県金沢市の野村家(石高1,200石)の間取りでは、玄関から入ると右から「奥の間」、来客用の「控えの間」、目上の人と対面する「謁見の間」、その奥に「仏間」という配置になっています。謁見の間の右手には一段高くなっている「上段の間」があり、立派な床の間と違い棚が設けられており、身分の上下を表す構造様式となっています。玄関から入って広間を中心に、襖を仕切りに座敷が続き間となっている書院造の間取りが特徴的です。

 

中級武士の屋敷では、佐倉市の武居家(石高90石)をモデルにした再現建築が千葉県立房総のむらにあり、主屋は土間・勝手(台所)・食事室・居間・寄付(取次)・座敷(客間)で構成されています。日頃の生活に利用する「居間」「食事室」「勝手」「土間」という居住空間と、「式台(玄関)」「寄付(取次)」「座敷(客間)」という客用空間とに明確に区別できる構造となっています。座敷側と居間側の両方に縁を回し、左右対称の平面の造りになっているのが中級武士の武家屋敷の典型的な間取りでした。

 

武家屋敷の書院造と格式を示す構造要素

武家屋敷は書院造という形を基本としており、これは室町時代に誕生した簡素な武家屋敷の様式です。書院造とは、床の間、違棚などの座敷飾りを備えた住宅様式のことで、一般的に障子や襖、棚や床の間などのある座敷を指します。室町時代以前に貴族階級が住んでいた屋敷の様式である「寝殿造」が元になっており、武士は忠誠や主従関係を確認するための茶会を催すのに来客を招くための部屋が欠かせなかったため、畳を敷き詰めた座敷と襖、床の間が特徴的な客間が誕生しました。

 

書院の構成要素である床の間、違棚、付書院、帳台構は、本来は実用的な書斎様式でした。床の間は仏具を置く神聖な場所、違棚は文具等を置くための棚、付書院は読み書きをする文机、帳台構は寝室へつながる扉という機能を持っていました。しかし武士の接客の場所として書院が活用されるようになると、座敷飾りが実用的な書斎様式から権威を表す飾りへと変化していきました。高価な仏具や違棚の意匠を凝らすなど、権威を表す飾りが主体となり、主人の権威を誇示する空間となったのです。

 

格天井は武家屋敷の格式を示す重要な建築要素でした。格天井とは、格縁(ごうぶち)という角材を格子状に組んだ物を梁から吊り下げ、格子の間に板を張る構造です。吊り下がった格縁の上から板を貼るので、構造材が見えない仕組みになっており、高い技術を要する天井構造でした。これに対して、台所である「勝手」は板敷きで移動式のかまどと流しが設置され、天井は煙抜きのため天井板の間に隙間をあける「目透かし竿縁天井」という形式がとられていました。これは炊事の煙が天井裏に回り、煙の薫蒸効果で屋根が長持ちすることを期待したもので、実用性を重視した構造となっていました。

 

武家屋敷の大きさ、建材、および設計上の特徴は武家の階級に基づいて細かく規制されており、公的に設定された基準を守ることに特別の注意が払われていました。身分の高い武士ほど格式のある玄関が設けられ、表座敷には床の間や違い棚が備えられていました。奥の間は家族の住まいとして使われ、家族と家臣の生活空間が明確に区別されていました。格式を表すために広い庭が設けられることが多く、塀や土塁に囲まれた構造となっていました。

 

武家屋敷の式台玄関と身分制度の表現

式台玄関は武家屋敷の様式美における大きな見どころであり、武家の身分制度を明確に表現する建築要素でした。式台とは公式の出入り口に設ける低い板敷部分のことで、駕籠からの乗り降りの際に足を汚さないために使われました。式台の両端には脇壁がつき、雨風の吹込みを防ぐ構造となっていました。来客はこの上に駕籠を横付けで置き、乗り降りしたのです。

 

式台玄関を持つことは、武士とそれに近い身分(たとえば郷士、名主など)の者しか許されませんでした。そもそも玄関は室町時代に将軍足利義政が東山御所に作ったことに始まるとされ、そこから武士階級に広まった武士文化です。式台玄関は賓客が「お成り」の時にしか使えない迎賓の場で、とても大切にされました。家族や同格以下の来客の場合は、もっぱら内玄関や勝手口を使って屋敷に出入りしていたのです。

 

武家屋敷の中でも玄関は特に大きさや格式が厳格に定められており、家格によって間口や奥行などが事細かに指定されていました。式台は一枚の無垢板で作られ、奥行きもゆったりと幅広であることが多く、材木としての価値も高いものでした。式台は通常身分の高い人が使う公式な出入り口だったため、古民家においては武家屋敷や侍屋敷、庄屋屋敷などにしかありません。

 

一般の農家では玄関はないため、土間から座敷へあがる構造となっていました。その土間から一段高くなった場所は長式台と呼ばれ、一枚の無垢材が使われることが多いですが、式台に比べて奥行きが結構短く、また長式台の下がそのままあらわになっているという違いがありました。このように式台と長式台の構造の違いからも、武家屋敷と農家住宅の身分の差が明確に表現されていたのです。

 

武家屋敷の長屋門の構造と機能

長屋門は近世武家屋敷の表門の形式の一つで、物置や使用人などの住居も兼ねていました。長屋門とは、江戸時代の武家等の屋敷にみられる門の形式で、従者や使用人の住まう部屋である長屋と門構えとが一体となって造られたものです。どの家でも造ることができる建物ではなく、石高によって制限されていました。

 

長屋門の構造は、木造平屋建てが多く、屋根は格式が高いと入母屋、それ以外は切妻や寄棟が採用されていました。屋根材も格式が高いと瓦、それ以外は茅葺が採用される傾向がありました。木造瓦葺き平屋建て、屋根構造は和小屋組で、中央部に門扉、両袖に部屋が配置されるのが典型的な構造です。構造は横長建物の中央付近を通り抜けできるもので、門部分の主構造は桟梁を受ける冠木と二本の親柱で、二枚の門扉と潜り戸をつけていました。

 

武家屋敷の長屋門では、門の両側部分に門番の部屋や仲間部屋が置かれ、家臣や使用人の居所に利用されました。仲間(ちゅうげん)や小者(こもの)と呼ばれる下級の家臣が住んでおり、防衛機能も兼ねていました。侍屋敷の長屋門は武家屋敷のものより小規模であるが、基本的な構造は同じでした。長屋門の意匠や構造は、その家の格式を示す重要な要素となっていたのです。

 

紀州藩の中級藩士であった大村弥兵衛家の長屋門(江戸時代末期建設)は、木造平屋建(一部2階建)、桁行12間(約23.2メートル)、梁間2間半(約4.7メートル)、入母屋造本瓦葺という構造でした。四角い平瓦を壁に固定し、目地に漆喰を半円型に盛って造った海鼠壁など、武家屋敷らしい重厚な外観に特徴がありました。鬼瓦や軒丸瓦には大村家の家紋である桔梗紋が入っており、大村家の屋敷の建物であったことを物語っています。名古屋城下の主税町長屋門には出格子付番所(武者窓)が付いており、これは武家屋敷の防衛機能を示す特徴的な構造要素でした。

 

武家屋敷の防御機能と配置計画

武家屋敷には敵の侵入を防ぐための様々な防御機能が組み込まれていました。敵の侵入を防ぐため「曲がり道」が設けられ、「長屋門」や「武者窓」など防衛を意識した設計になっていました。通りが真っ直ぐに造られていないのも、敵の勢いを削ぎ、矢を防ぐためでした。武家屋敷群では十字路をあまり作らずT字路や曲線で遠くを見通せないように作られており、防備を兼ねた城累型の区割りとなっていました。

 

鹿児島県知覧の武家屋敷群では、各屋敷が塁のように防衛障壁となるよう工夫されていました。屋敷の門を潜ったところに待ち構えるように石垣が設けられており、琉球由来とされるこの石垣は「屏風岩(ひんぷん)」と呼ばれ、敵が攻めて来た際に一斉に屋敷へ雪崩れ込む事を防ぐ役割をしていました。あるいは中に弓矢を放つ事も出来ない構造となっていました。屋敷に高く植えられた生垣は外から中が見えにくく、さらにイヌマキという針葉樹でできた生垣は柔らかくてよじ登る事も出来ず、風通しがいいだけでなく防御力もあるという特徴がありました。

 

知覧武家屋敷群の特徴は、道を歩くだけで武家屋敷の格式の高さがわかる点にあります。一見どれも立派な石垣に見えますが、丸い石でできた石垣と、四角い切り石でできた石垣のお屋敷があり、切り石を用いた石垣の武家屋敷は格式が高いことを示していました。敷地は前面道路から数段上がって造成され、石垣を組んで増水に配慮した高さとなっています。石垣を構成する石は大根島で産する島石と布石、敷石などに来待石が用いられるなど、地域の材料を活用していました。

 

三つ又の突き当たりには「石敢当(せっかんとう)」と呼ばれる大きな石が置かれていました。石敢当は琉球から伝えられた魔除けであり、T字路や三つ又によく設置されていました。これは邪悪なものから屋敷を守るだけでなく、曲がり道における防衛機能も兼ねていたと考えられます。全体が土塁と生け垣で囲まれており、敷地内には稲荷が屋敷神として主屋の北東に位置する鞘堂にまつられ、精神的な守護も重視されていました。

 

武家屋敷の建築材料と伝統工法の特徴

武家屋敷の建築には地域の材料と伝統的な工法が用いられていました。檜皮葺の屋根は檜の樹皮を何層にも重ねてふきあげる日本古来の伝統的な工法で、大陸から伝来してきた瓦と違って他の国では例がありません。寝殿造の流れにある武家の屋敷に使われていたのは基本的に檜皮葺の屋根で、檜皮葺の屋根はやわらかで重厚な美しさがあり、寺社や堂宇だけでなく武家の屋敷にも好んで採用されていました。

 

瓦葺き屋根の採用は格式の高さを示す要素でしたが、創建当初は火を扱う台所や清所などのほかは檜皮葺だったと考えられる建築も多くありました。江戸時代後期に建築された寄棟造の平屋建ての武家屋敷では、柿葺(こけらぶき)の入母屋造も採用されていました。屋根構造は和小屋組が一般的で、構造部材には背割り部分も散見されることから、建築後の年数を推定する手がかりとなっていました。

 

武家屋敷は防御を意識した構造や土壁、高い塀を取り入れ、質実剛健な造りが特徴でした。在来軸組工法は柱・梁・桁・筋交いなどを組み合わせた「軸組(骨組み)」で建物を構成する日本の伝統的な木造建築工法で、各部材にはそれぞれ明確な役割があり全体で建物を支える構造となっていました。武家屋敷に使われている古材には、ケヤキやサクラ、栗、ヒノキなど実に多様な樹木が使われており、地方によって使われる材が異なるのは全て地元で伐採された木材だったためです。

 

建具には舞良戸が多用されていました。舞良戸とは框の間に板を張り、その表側に舞良子(まいらこ)という桟を横に細かい間隔で入れた引き違い戸で、書院造の建具として特徴的なものでした。調度などもその時代の工法を伝える貴重な要素となっており、従来の日本建築の工法を後世に伝える役割を果たしています。武家屋敷の茅葺き屋根は将来実現できることを想定した下地を敷くなど、伝統的な工法を維持するための配慮がなされていました。

 

参考情報として、武家屋敷の構造や間取りについて詳しく知りたい方は、以下のサイトが有用です。

 

刀剣ワールド - 間取りで見る武家屋敷
加賀藩、萩藩などの具体的な武家屋敷の間取り図と詳細な解説が掲載されています。

 

千葉県立房総のむら - 武家屋敷
中級武士の武家屋敷を再現した施設で、主屋の構造や各部屋の機能について実際の建物を通じて学ぶことができます。

 

知覧武家屋敷庭園
防衛機能を持つ武家屋敷群の配置計画や石垣、生垣などの防御構造について詳細な情報が得られます。