

「記念建造物のすぐ隣の工事なら、特に許可なく着工してよい」と思ったら大間違いです。
「monument(モニュマン)」というフランス語は、建築業に携わる方ならどこかで耳にしたことがあるはずです。英語のmonumentと同じ綴りで、日本語では「記念建造物」「記念碑」「歴史的建造物」などと訳されます。
この単語の語源は、ラテン語の「monumentum(モニュメントゥム)」に遡ります。さらに遡ると、「思い出させる・気付かせる」を意味するラテン語の動詞「monere(モネーレ)」が起源です。つまりmonumentとは「人々に何かを想起させるもの」という概念を持った言葉なのです。これは語源が情報提供の意味を持つという点で、興味深いですね。
フランス語でのmonumentの使い分けは、日本語よりも幅広い点が重要です。コトバンクの仏和辞典によれば、フランス語の「monument /mɔnymɑ̃/」には以下のような意味があります。
日本語では「記念建造物」と「記念碑」と「墓碑」は別々の言葉として使い分けますが、フランス語では「monument」一語で表現できます。このズレを知らずに翻訳を進めると、設計書や契約書でニュアンスの違いが出る場面もあります。気をつけておきたいところです。
さらに、フランス語と英語での「monument」の概念には、日本との微妙な違いがあります。日仏の用語比較研究(二松学舎大学)では、「ヨーロッパでは建造物そのものの歴史的・芸術的価値を指すのに対し、日本ではとかく記念物や記念碑の意味に解する傾向がある」と指摘されています。建築の現場で国際的なコミュニケーションが発生する際、この概念の差異は意外に大きく影響します。
参考:コトバンク 仏和辞典「monument」の意味と使い方
フランス語で「monument historique(モニュマン・イストリック)」と呼ばれるフランスの歴史的記念物保護制度は、1837年9月29日に設立された歴史ある仕組みです。法的な基盤は1913年12月13日に制定された「歴史的記念物に関する法律(loi du 31 décembre 1913 sur les monuments historiques)」に置かれており、今日もこの1913年法を軸に制度が運用されています。
まず驚くべき点は、指定の対象範囲の広さです。建物の外観だけでなく、敷地内の階段や庭、さらにはインテリアなど建造物の特定部分にも個別に指定が行われます。また、動産(家具・パイプオルガンなど)にも適用されます。これは日本の文化財保護法の運用と比べると、かなり細かい単位で保護が行われているといえます。
つまり「外観はOKだが内部は自由に改修できる」という考え方は、フランスのmonument historiqueでは必ずしも通用しないわけです。
monument historiqueには2つの段階があります。
2014年時点で、フランス国内には44,318件の不動産がmonument historiqueとして指定されています。東京ドームのグラウンド面積が約1.3万㎡とされていますが、それとは関係なく、単純に「44,318件」という数字は日本の重要文化財建造物の件数と比べて桁違いに多い点が際立ちます。日本の重要文化財建造物は2,000件台に留まる状況と比較すると、フランスがいかに広範に建造物を保護しているかがわかります。
格付けされた記念物については、文化省による事前の許可なくして取り壊し・造り替え・修復・修理などのあらゆる変更行為を行うことができません。これは原則です。所有権の移動についても報告義務が生じます。登録記念物に変更行為を加える場合も、少なくとも4ヶ月前の事前報告が必要です。4ヶ月という期間は、工程管理上かなり大きな影響を持ちます。
参考:Wikipedia「歴史的記念物(フランス)」制度の詳細と指定件数
フランスの記念建造物制度で、建築業に関わる方が特に注意すべきなのが「周域(abord)規制」です。これは1943年2月25日法(歴史的記念物の周域に関する法律)に基づくもので、「指定または登録された歴史的記念物の周囲500メートル以内に計画されるあらゆる建設事業ならびに修復事業は、事前にフランス建築保護建築家(ABF=Architecte des Bâtiments de France)の承認を必要とする」と定められています。
500メートルとは、どのくらいの広さでしょうか? 成人が徒歩でおよそ6〜7分歩ける距離です。東京で例えれば、渋谷スクランブル交差点から半径500mを描くと、原宿・青山・恵比寿方面まで丸ごと含まれる範囲です。フランスの都市部では、一つの記念建造物の周域が複数の街区にまたがることになります。
この500m規制が実務に与える影響は甚大です。新築・増築・改築・修復のすべてが対象となるため、たとえ「記念建造物そのものに触れない工事」であっても、その近くで工事を行うだけでABFの事前承認が必要になります。これは費用だけでなく、工期にも直接影響します。
日本の文化財制度と比べると、違いが際立ちます。日本では重要文化財建造物に関わる規制は基本的にその建造物自体に及びますが、周囲の他の建物の建設工事を制限するような強力な「周域規制」は一般的ではありません。一方フランスでは、この周域規制のせいで、記念建造物の近隣では「ごく普通の建て替え工事」にもABFの審査が入ります。
フランスのABF(フランス建造物建築家)は、半径500mの規制を実情に応じて調整する権限も与えられており、独立した審査権限を持つ専門家です。この制度を知らずに施工計画を立てると、工事直前に「ABFの承認を取ってください」という指摘で工事がストップし、大幅なコスト増・工期延長という事態になりかねません。痛いところです。
なお、1983年法に基づく都市景観建築遺産保護地区(ZPPAUP)の内部に記念物が含まれる場合は、この500m規制が解除される仕組みもあります。ただし代わりにZPPAUPの規制が適用されるため、工事計画の前には必ず該当地区の法的ステータスを確認することが不可欠です。
参考:日仏都市計画情報センター「フランスにおける歴史的環境の保護制度」500m規制の詳細
フランスでmonument historiqueに関わる工事には、専門の資格を持つ建築家の関与が求められます。この仕組みは日本の建築業者にとって非常に参考になる部分です。
まず「文化財建築家(Architecte de Patrimoine)」という資格があります。これはシャイヨ高等教育センター(Centre des Hautes Études de Chaillot)という専門機関での2年間の教育課程を修了した建築家で、年間60人ほどが選抜されます。シャイヨ学校は1887年、中世建築修復の権威であるヴィオレ・ル・デュックの弟子アナトール・ド・ボードによって創設された歴史ある機関です。
文化財建築家に可能な業務は、歴史的建造物の歴史考証・分析、登録文化財(Inscription)の修復・補強・増築・新築工事など多岐にわたります。重要なのは、重要文化財(Classement)建造物を改修・修復する場合、設計チームに必ず文化財建築家を加えることが義務付けられている点です。つまり一般の建築事務所だけで重要文化財のmonument historiqueに手を加えることは原則できません。
さらにその上位に「文化財建造物主任建築家(ACMH:Architecte en Chef des Monuments Historiques)」という資格があります。ACMHはフランス全国で37名(2013年10月時点)しかおらず、国家試験によって不定期に選抜されます。非常任の国家公務員という特殊な立場で、各自に担当地域・担当建造物が割り当てられています。
驚くべき点として、国有の重要文化財建造物(ヴェルサイユ宮殿など)の修復を行えるのはACMHのみとされています。フランス全国でわずか37名という超少数精鋭が、国の最重要建造物を守っているわけです。
日本では文化財建造物の修復工事に「文化財建造物保存技術者」という概念はありますが、フランスのACMHのように明確に「この資格を持つ人だけが施工できる」という排他的な制度は、制度設計として非常に明確です。フランスのこの仕組みは、建築業従事者にとって品質担保の観点からも参考になる考え方といえます。
参考:traverse「フランス歴史建築考」ABF・ACMH・文化財建築家の役割と違い
フランスの「monument historique」と日本の「重要文化財建造物」を比べると、その守備範囲の広さに大きな差があります。この差を知ることは、海外プロジェクトに関わる建築業者にとっても、日本の制度を見直す建築士にとっても有益です。
まず件数の比較です。フランスは44,318件(2014年時点)の不動産をmonument historiqueに指定しています。一方、日本の重要文化財(建造物)は2,000件台です。国土面積で比較すると、フランスの国土は日本の約1.5倍ですが、保護建造物の件数は日本の約20倍以上になります。これは単純に「たくさん指定している」というだけでなく、フランスが百貨店・カフェ・劇場・ブティックといった商業施設をも積極的にmonument historiqueに指定してきた歴史を示しています。日本の文化財指定が寺社仏閣・城郭・民家に偏りがちであるのとは対照的な構造です。
次に「登録」制度の違いです。日本でも1996年に「登録有形文化財建造物」制度が始まり、より緩やかな保護のもとで多くの近代建築を活用できるようになりました。これはフランスの「登録(inscription)」制度に近い発想で、国際的な制度設計の影響を受けたものといわれています。登録有形文化財は現在5,000件を超えていますが、まだフランスの水準には遠く及びません。これは将来の課題ですね。
また、日本とフランスで大きく異なるのは、保護建造物の所有者に対する意識です。フランスでは、建造物を国に登録・指定してもらうことは所有者の誇りとして受け取られる傾向があります。一方日本では「規制が増えて不便になる」というイメージが先行しやすく、登録に消極的な所有者も少なくありません。この意識の差が、保護件数の開きにも反映されているといえます。
フランスの場合、重要文化財に指定された建造物の修復には国から補助金が拠出されることも多く、2020年のコロナ禍では、歴史的建造物の修復だけで4,000万ユーロ(約50億円以上)の追加援助が実施された実績があります。さらに2018年には「文化財ロト(宝くじ)」という制度が導入され、ロトの売上金を文化財修復に充てる仕組みが動き出し、初年度だけで約20億円超が100件のプロジェクトに使われました。補助金の仕組みが充実しているからこそ、所有者も指定を歓迎するという側面があります。
建築業に従事する方が日本国内でリノベーションや改修プロジェクトに関わる際、文化財指定・登録建造物の可能性を頭に入れておくことは重要です。文化財登録を「制約」として捉えるのではなく、「補助金を受けながら歴史的建造物を活かすチャンス」として前向きに提案できれば、施主との交渉にもプラスに働きます。これは使えそうです。
参考:美術手帖「フランス政府が文化セクターに2500億円の追加援助」歴史的建造物修復への補助金額