

公共事業において用地取得を行う際、必ずしも土地収用法の「事業認定」という手続きが必要なわけではありません。実際には、公共用地の取得の90%以上は、土地収用法に基づく強制的な手続きを経ずに、土地所有者との話し合いによる「任意買収(協議取得)」によって完了しています。建設従事者にとって、この「事業認定が不要なプロセス」を深く理解することは、工期管理や地権者との信頼関係構築において極めて重要です。
「事業認定」とは、本来、起業者(国や地方公共団体など)が特定の公共事業について「土地を収用する公益上の必要がある」と国や都道府県知事から認定を受ける行為を指します。しかし、すべての現場でこの強力な法的権限を行使するわけではありません。むしろ、強制力を伴う手続きは「最後の手段」であり、実務上は可能な限り回避される傾向にあります。ここでは、事業認定が不要となる主なケースである「任意買収」と、法的に認定手続きが免除される「みなし事業認定」の2つの側面から、そのメカニズムと現場への影響を深掘りします。
任意買収とは、土地収用法の規定による収用委員会への裁決申請などを行わず、民法上の売買契約と同様に、起業者と土地所有者の合意によって用地を取得する方法です。この手法が選ばれる最大の理由は、手続きの柔軟性とスピード感にあります。
事業認定を受けるためには、膨大な申請書類の作成に加え、公告・縦覧、利害関係者からの意見聴取、公聴会の開催など、厳格かつ時間のかかるプロセスを経なければなりません。これに対し、任意買収であれば、これらの法的な準備期間をカットし、当事者間の合意さえ整えば即座に契約・引き渡しが可能となります。工期の厳守が求められる建設現場において、用地の早期引き渡しは着工の遅れを防ぐ決定的な要因となります。
また、地権者にとっても「強制的に取られた」という心理的なわだかまりが残りにくく、将来的な工事中の騒音や振動といったトラブルに対する理解も得やすくなるというメリットがあります。ただし、ここで誤解してはならないのが「事業認定が不要=補償が安くなる」わけではないという点です。任意買収であっても、補償金額は国が定める「公共用地の取得に伴う損失補償基準」に基づいて適正に算定されます。
土地代金だけでなく、建物の移転料、動産移転料、仮住居補償など、収用手続きをとった場合と同等の「正当な補償」が提示されます。むしろ、早期妥結へのインセンティブとして、収用手続きにはない独自の協力金などが自治体の規定によって上乗せされるケースすらあります。建設実務者としては、地権者に対し「任意買収は法的手続きを省略するものであっても、権利者の利益を損なうものではない」と正確に説明できる知識が不可欠です。
参考リンク:大阪府「土地収用制度の手引き」 - 任意買収と収用手続きの違いや、事業認定の定義について詳述されています。
もう一つ、「事業認定が不要」となる重要なケースとして、都市計画法に基づく「みなし事業認定」があります。これは、都市計画事業としての認可(都市計画法第59条に基づく認可)を受けた場合、土地収用法の事業認定を受けたとみなされる制度です。
通常、道路や公園などの都市施設を整備する際、都市計画決定だけでは土地を収用する権限は発生しません。しかし、事業認可を受けると、法律上自動的に「事業認定」を受けたのと同じ効力が発生します。これにより、起業者は改めて国土交通大臣や都道府県知事に事業認定申請を行う必要がなくなります。これを「みなし事業認定」と呼びます。
この特例は、街路事業や土地区画整理事業など、都市部での大規模なインフラ整備において頻繁に利用されます。現場監督や施工管理者は、担当する現場が「単なる任意買収ベース」なのか、すでに「事業認可(みなし事業認定)済み」なのかを把握しておく必要があります。なぜなら、みなし事業認定がなされている場合、バックエンドに強力な法的強制力が控えているため、地権者との交渉が停滞した場合の「次の手(裁決申請)」への移行がスムーズであり、結果として工期の予測が立てやすくなるからです。
参考リンク:国土交通省 関東地方整備局「土地収用法上の事業認定と都市計画法上の事業認可について」 - 両者の法的な違いや適用関係が専門的に解説されています。
「事業認定を受けていない(不要な)段階で土地を売ると、税金が高くなるのではないか?」という地権者の懸念は、用地交渉の現場で頻出する質問の一つです。結論から言えば、事業認定を受ける前であっても、要件を満たせば「5,000万円特別控除」などの強力な税制優遇を受けることが可能です。
租税特別措置法では、収用権を行使できる公共事業のために土地を譲渡した場合、譲渡所得から最大5,000万円を控除できる特例を設けています。この適用を受けるためには、必ずしも「事業認定後の裁決」である必要はありません。起業者から「公共事業用資産の買取り等の申出」があり、その申出から6ヶ月以内に契約が成立すれば、任意買収であっても特例が適用されます。
しかし、ここで注意が必要なのは、事業認定が「不要」なのではなく、「まだ受けていない」あるいは「受ける前提の事業である」という文脈です。5,000万円控除の対象となるのは、あくまで「土地収用法第3条に規定する収用適格事業」である必要があります。
一方、収用適格事業ではない、より小規模な公共的な用地取得(例えば、一部の公有地の拡大など)の場合は、5,000万円ではなく「2,000万円控除」や「1,500万円控除」が適用されるケースもあります。建設従事者が地権者と雑談レベルで話す際も、「税金が安くなりますよ」と安易に断言せず、「事業の種類や契約の時期によって控除額が変わるため、詳細は起業者の用地担当や税務署への確認が必要です」と正確にナビゲートすることがリスク管理上重要です。
特に、交渉が長引いて「最初の買取りの申出から6ヶ月」を過ぎてしまうと、5,000万円控除の特例が受けられなくなるという「期限の罠」があります。この場合、あえて後から「事業認定」を取得することで、特例の適用期間を復活させるという裏技的な手法が取られることもありますが、これは手続きを複雑化させます。したがって、「事業認定が不要なうちに(任意買収の段階で)早期に契約することが、税務上も最も有利である」という事実は、交渉を促進する強力なカードとなり得ます。
参考リンク:国税庁 No.3552 収用等により土地建物を売ったときの特例 - 5,000万円控除の具体的な要件や手続き期限について記載されています。
ここまでは「事業認定不要(任意買収)」のメリットを述べてきましたが、ここからは視点を変え、建設プロジェクト管理の観点から「事業認定をとらないことのリスク」という独自視点で解説します。多くの現場では「波風を立てたくない」という理由で、事業認定申請を躊躇し、延々と任意交渉を続けるケースが見られます。しかし、これは建設業者にとって「着工時期が見通せない」という最大のリスク要因となります。
任意買収はあくまで「相手の合意」が前提です。相続人不明、境界未確定、あるいは感情的なもつれによる絶対的な拒否者が1人でもいれば、事業用地は虫食い状態となり、工事に着手できません。事業認定(または都市計画事業認可)を取得していない場合、起業者は強制的な立ち入り調査や収用裁決の申請ができないため、交渉が行き詰まると打つ手がなくなります。
建設業者の立場から見れば、行政側が「事業認定は不要、なんとか話し合いで」と及び腰になっている現場ほど、工期延長のリスクが高いと言えます。逆に、早期に事業認定を取得(または申請準備)している現場は、最終的な「土地の明け渡し期限」が法的に確定できるため、工程管理が非常に安定します。
「事業認定=強権発動」というネガティブなイメージが先行しがちですが、実務的には「期限を区切ることで、地権者に決断を促す」という側面が強いのです。だらだらと交渉を続けることは、結果的に地権者が税制優遇(6ヶ月要件)を逃すことにも繋がり、誰の利益にもなりません。したがって、プロフェッショナルな建設従事者としては、難航している案件については「事業認定の手続きに移行する目安」を行政側と共有し、デッドラインを意識した進捗管理を行うことが、プロジェクトの利益を守るために不可欠です。
また、事業認定の申請を行うと、土地の価格が「事業認定の告示の時」に固定される(価格固定効)という効果もあります。地価が上昇局面にある場合、早期に価格を固定することは予算管理上も有利に働きます。このように、「事業認定不要」は理想ですが、それに固執しすぎることがプロジェクト全体の致命傷になり得るという逆説的な視点を持つことが重要です。
参考リンク:国土交通省「日本における公共用地取得制度」 - 土地収用手続きの流れや、任意取得とのバランスについての公的な指針です。
最後に、事業認定を必要としない任意買収における、具体的な実務フローを整理します。この流れを頭に入れておくことで、現在どのフェーズにあり、次になにが起こるかを予測することができます。
この一連の流れの中で、最も時間がかかるのが「3. 用地交渉」です。事業認定というデッドラインがない場合、この期間は理論上無限に延びる可能性があります。建設現場のリーダーとしては、用地の取得状況(契約済みエリア、未契約エリア)を常に最新の状態で把握し、未契約地を残したまま先行施工できる範囲があるか、あるいは飛び地施工によるコスト増をどう処理するかなど、柔軟な施工計画を練る準備が求められます。