

私たちが日常的に口にしている「塩」。その製造方法は多岐にわたりますが、日本で最も広く流通しているのが「イオン交換膜法」によって作られた塩です。建設やエンジニアリングに携わる方々であれば、プラントの仕組みや膜技術といった観点から、この製法に興味を持つことも多いのではないでしょうか。しかし、一般的には「化学的な塩だ」「体に悪い」といった誤解を受けることも少なくありません。この記事では、イオン交換膜法の技術的な仕組みから、天然塩との具体的な違い、そして建設業界でも応用されている同技術の意外な側面について、専門的な知見を交えて深掘りします。
イオン交換膜法とは、海水に溶けている塩分を、電気の力と特殊な膜を利用して濃縮し、採塩する方法のことです。日本には岩塩がなく、また多湿で雨が多いため、天日干しだけで塩を作ることは困難です。そのため、古くから海水を煮詰める方法がとられてきましたが、その効率を飛躍的に高めたのがこの技術です。昭和40年代後半から日本の製塩の主流となりました。
具体的な仕組みとしては、電気透析槽と呼ばれる装置を使用します。この槽の中には、「陽イオン交換膜」と「陰イオン交換膜」という2種類の膜が交互に何百枚も並べられています。ここに海水を流し込み、両端の電極に直流電流を流します。
この動きにより、膜と膜の間に、イオンが抜けて薄くなった海水(脱塩水)の層と、イオンが集まって濃くなった海水(濃縮かん水)の層が交互に出来上がります 。このプロセスによって、通常の海水(塩分濃度約3%)から、約18%〜20%という高濃度の塩水(かん水)を効率よく作り出すことができるのです。その後、この濃縮された塩水を真空式蒸発缶で煮詰めることで、私たちが目にする塩の結晶ができあがります 。
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この技術の優れた点は、ナノメートル単位の微細な孔を持つ膜が、一種のフィルターの役割を果たすことです。単に水分を蒸発させるのではなく、分子レベルで必要な成分だけを選択的に透過させるため、非常に純度の高い塩化ナトリウムを抽出することが物理的に可能になっています。
「イオン交換膜法の塩」と、いわゆる「天然塩(天日塩や平釜塩)」の最大の違いは、その成分組成、特にミネラル分の含有量にあります。イオン交換膜法は、塩化ナトリウム(NaCl)の純度を高めることに特化した技術であるため、出来上がる塩は非常に高純度です。
以下の表は、一般的な成分の違いを比較したものです。
| 項目 | イオン交換膜法の塩(精製塩) | 一般的な天然塩・粗塩 |
|---|---|---|
| 塩化ナトリウム純度 | 99.5% 以上 | 80% 〜 95% 程度 |
| マグネシウム | ほとんど含まない | 豊富(苦味成分) |
| カリウム・カルシウム | 微量 | 比較的多く含む |
| 味の特徴 | 塩辛さが鋭い(シャープ) | まろやかで複雑な味わい |
| 吸湿性 | 低い(サラサラしている) | 高い(しっとりしている) |
イオン交換膜は、1価のイオン(ナトリウムイオンや塩化物イオン)を選択的に通しやすい性質を持っています。一方で、2価のイオンであるマグネシウムイオン(Mg2+)やカルシウムイオン(Ca2+)、硫酸イオン(SO4 2-)などは、膜を通りにくい性質があります 。これは、膜の表面が電気的な性質を帯びており、多価イオンが反発を受けやすいためです。結果として、イオン交換膜法で作られた塩は、マグネシウムなどの「にがり」成分が少なくなり、塩化ナトリウム純度が極めて高い製品となります。
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この成分の違いは、料理における役割も大きく変えます。純度の高い塩は、素材の味を邪魔せず、純粋な塩味をつけるのに適しています。対して、マグネシウムやカルシウムを含む天然塩は、その雑味が旨味やコクとして感じられるため、おにぎりや焼き魚など、塩の味そのものを楽しむ料理に適していると言われます 。どちらが優れているということではなく、用途に応じた使い分けが重要です。
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インターネット上や一部の健康情報では、「イオン交換膜法で作られた塩は化学薬品で作られた偽物の塩であり、危険だ」という言説を見かけることがあります。しかし、技術的な観点から言えば、この主張には多くの誤解が含まれています。
まず、「化学薬品で処理している」という点ですが、前述の通り、使用しているのは「電気エネルギー」と「ろ過膜」であり、塩酸や硫酸などの薬剤を添加して塩を析出させているわけではありません。プロセス自体は物理化学的な分離・濃縮であり、生成物は純粋な食品としての塩です。
むしろ、安全性という面では、イオン交換膜法には大きなメリットがあります。
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「精製塩=高血圧の元凶」という説についても、確かにカリウムなどの排出を促すミネラルが少ない分、過剰摂取には注意が必要ですが、それは「塩」全般に言えることであり、製法そのものが毒性を生んでいるわけではありません 。昭和40年代にこの製法への切り替えが進んだ背景には、工業化だけでなく、当時の深刻な海洋汚染から国民の食の安全を守るという側面もあったことは、あまり知られていない事実です 。
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参考:公益財団法人塩事業センター 塩百科 | イオン膜・立釜法
建築や産業の現場でも、コストと品質のバランス(QCD)は常に重要ですが、塩の選び方においても同様のことが言えます。イオン交換膜法の塩には明確なメリットとデメリットが存在します。
メリット:
デメリット:
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この特性を理解していれば、「普段の調理には安価な精製塩、ここぞという仕上げには高価な天然塩」といった合理的な使い分けが可能になります。
最後に、視点を「食」から「建設・インフラ」へと広げてみましょう。実は、塩を作るための「電気透析法(Electrodialysis: ED法)」と呼ばれる技術は、建設現場や環境プラントの分野でも重要な役割を担っています。これは、塩を作るのとは逆のプロセス、つまり「水から塩分(イオン)を取り除く」という形での応用です。
例えば、埋立地処分場(ランドフィル)の浸出水処理施設です。埋立地から出る汚水には高濃度の塩分や窒素が含まれていることがあり、そのまま放流することはできません。ここで電気透析装置が導入され、汚水中のイオンを除去(脱塩)し、環境基準を満たす浄化水にするために使われています 。また、工場排水から有用な金属イオンを回収したり、酸・アルカリを回収して再利用したりするプロセスにも、この膜技術が活用されています 。
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さらに、将来的な建設資材への応用として注目されているのが、コンクリートの「練り混ぜ水」への海水利用です。通常、コンクリートに海水を使うと鉄筋が錆びてしまうため厳禁ですが、世界的な水不足を背景に、海水を現場で淡水化して利用する研究が進められています 。ここでも、RO膜(逆浸透膜)とならんで、イオン交換膜技術の応用が期待されています。特に、再生可能エネルギーと組み合わせた自立型の淡水化プラントなどは、離島や海外のインフラ工事において重要な技術となるでしょう。
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このように、「イオン交換膜法」は単に食卓の塩を作るだけでなく、水資源の確保や環境保全という、建設業とも密接に関わる重要な産業基盤技術なのです。スーパーで安い塩を見かけたときは、その背景にある高度な電気化学プロセスと、インフラを支える膜技術のすごさを思い出してみてはいかがでしょうか。
参考:AGC化学品カンパニー | 排水処理のエネルギー削減事例