

農薬残留基準は「厚生労働省が1つの省庁だけで決めている」と思いこむと、2024年4月以降は管轄窓口が違うため手続きで損をします。
「農薬の残留基準は厚生労働省が決める」という認識は、2024年3月まではおおむね正しかったものの、現在は完全には正確ではありません。食品衛生基準行政は2024年4月1日に厚生労働省から消費者庁へ移管されており、窓口が変わっています。これは知らないと問い合わせ先を間違え、手続きで無駄な時間が発生するため、建築業に関わる方であっても仕事上の調達・発注先の農業関連業者との連絡に影響することがあります。
農薬残留基準の設定には、実は4つの機関がそれぞれ異なる担当を持ちながら連携する仕組みが採用されています。この仕組みは「リスク分析」という考え方を基本としており、2003年に制定された食品安全基本法によって本格的に導入されました。
各機関の役割をまとめると、次のとおりです。
| 機関 | 主な役割 |
|---|---|
| 食品安全委員会(内閣府) | 農薬のヒトへの健康影響をリスク評価。ADI・ARfDを設定する。 |
| 消費者庁(2024年4月~) | リスク評価の結果を受けて、食品ごとの残留基準値を設定・公示する。 |
| 農林水産省 | 農薬取締法に基づき農薬の登録を管理し、使用基準を設定する。 |
| 環境省 | 土壌・水質汚濁に係る農薬登録基準を設定する。 |
つまり「誰が決める」という問いに対しては、一言で言えば消費者庁が最終的な基準値を設定します。ただし、その前段として食品安全委員会が独立した立場でリスク評価を行い、その評価結果なしには基準値が設定できないという二段階構造になっています。
参考:食品衛生基準行政が消費者庁へ移管された経緯と内容
消費者庁:厚生労働省から消費者庁への食品衛生基準行政の移管について(PDF)
基準値が決まるまでには、いくつかのステップを経ます。まず、どの農薬も使用が認められる前に動物実験をもとにした毒性試験が実施されます。この試験結果から「何ら悪影響が認められない用量(無毒性量)」が求められ、さらにその値に安全係数100(種差10×個体差10)を割り算することで、ADI(一日摂取許容量)が算出されます。安全係数が原則100というのがポイントです。
たとえば、無毒性量が「1mg/kg体重/日」だった場合、ADIはその100分の1の「0.01mg/kg体重/日」になります。体重60kgの人であれば、一生毎日食べ続けても問題ない量は1日あたり0.6mgということになります。これはティースプーンのほんのわずかな粉末量にも満たない微量です。
食品安全委員会はこのADIを独立した立場で設定します。独立性が重要なのは、基準を使う側(農林水産省・消費者庁)と評価する側(食品安全委員会)を分離することで、客観的な安全評価が担保されるためです。これがリスク分析の原則です。
次に消費者庁(旧・厚生労働省)が、日本人の食生活データをもとに「各食品を通じた農薬の摂取量がADIの80%以内に収まるか」を試算し、食品ごとの残留基準値(MRL)を設定します。80%以内というのも意識しておくべき数字で、ADI全量ギリギリではなく余裕を持たせた設計になっています。
農薬摂取量の試算が基準の核心です。
参考:残留農薬の基準設定プロセスをわかりやすく解説したAgri Factの解説記事
Agri FACT:第4回 残留農薬の基準はだれが設定しているのか
2006年5月に施行されたポジティブリスト制度は、農薬残留基準の考え方を大きく変えました。それまでは「基準が設定されていない農薬は使用自由」という状況でしたが、この制度の導入によって「基準が設定されていない農薬が一定量以上残留する食品の販売等は原則禁止」へと逆転しました。
注目すべきは「一律基準:0.01ppm」です。農薬ごとの個別基準値が設定されていない場合は、この0.01ppmが自動的に上限として適用されます。0.01ppmというのは100万分の0.01、つまり1トンの食品中に0.01gだけ含まれている濃度です。成人の体重1kgに換算すると、ほぼ検出されないに等しい非常に低い数値で、欧州連合(EU)と同じ水準です。
この制度が建築業に携わる方にも無関係ではない理由は、「農薬のドリフト(飛散)」にあります。工事現場や資材置き場が農地に近接する場合、隣接農地の農薬が工事車両や作業員の衣服に付着し、工事用に栽培されている植物や食材に触れるケースも想定されます。また、建設会社が社内で農地管理を兼ねている場合には、使用する農薬のドリフトが隣接農地の作物の残留農薬基準値を超えるリスクも存在します。
現在、残留基準が設定されている農薬等は760品目以上にのぼります。基準を超えた農薬が検出された場合は、その食品の廃棄・回収・輸入禁止といった措置が取られます。これは国産・輸入を問いません。
参考:ポジティブリスト制度の概要と一律基準について(厚生労働省)
厚生労働省:食品に残留する農薬等に関する新しい制度について(PDF)
「日本の農薬残留基準は海外より厳しい・緩い」という議論をインターネット上でよく見かけます。しかし、どちらか一方が正しいというわけではなく、農薬の種類や作物によって状況が異なります。意外ですね。
基準値が国ごとに違う主な理由は、「気候・病害虫の違い」「農薬の使用方法の違い」「検査部位の違い」の3点です。たとえばお茶は欧米ではほとんど栽培されないため、そもそも欧米の基準値は非常に低く設定されています。一方、日本はお茶の主要生産国であるため、実際の使用実態に基づいた基準値を設定しており、欧米と数字を比べると「日本の基準が緩い」ように見えます。しかし、日本国内での使用実態に照らせば安全性は同等に担保されています。
さらに複雑なのは、コーデックス委員会(FAO/WHOが1963年に設置)による国際基準の存在です。日本はこの国際基準も参照しながら残留基準値を設定しており、国際基準が設定されている農薬については、その数値も比較検討されます。
たとえばブドウへのイミダクロプリド(殺虫剤)の残留基準は、コーデックス基準が1ppmに対して日本が3ppmと高めです。一方、ブルーベリーへのアジンホスメチル(殺虫剤)は国際基準より5倍厳しく設定されています。農薬の種類と作物の組み合わせで、基準値の厳しさは逆転することがあります。
国際基準との違いが一律に「危険」「安全」とはならないということですね。食品を購入する際にただ「海外基準と比較して高い」という情報だけで判断するのは適切ではありません。
参考:農林水産省がまとめた諸外国の残留農薬基準値比較情報
建築業に携わる方が農薬残留基準と無縁に見えて、意外な接点があることはあまり知られていません。たとえば、土木工事・造成工事・外構工事では農地に近接した場所での作業が頻繁に発生します。そのような現場では、農地の農薬散布が行われているタイミングで作業すると、農薬のドリフト(空中飛散)を受けることがあります。
これは直接の健康リスクにつながるだけでなく、工事現場内に持ち込まれた食材(弁当・農産物など)に農薬が付着するリスクも考えられます。さらにいえば、工事会社や施工管理者が事業として農地を所有・管理しているケースでは、農薬使用に関する法令遵守が必要になります。
農薬取締法では、農林水産大臣の登録を受けた農薬のみ販売・使用が認められており、登録を受けていない農薬を使用した場合は3年以下の懲役または100万円以下の罰金が科される可能性があります。罰則は厳しいですね。
現場での農薬リスクを管理するために参考になるのが、消費者庁が2024年4月以降に管轄する残留農薬基準の検索システムです。「農薬名」「食品名」で基準値を確認できるため、近接農地でどの農薬が使われているかを知った上で、飛散リスクへの対応を検討する際に活用できます。
農薬の使用・飛散に関するリスク管理は、現場の安全衛生管理計画と合わせて確認しておくのが原則です。建築業に関わる方であれば、現場の近隣農地で使用される農薬の種類と散布時期を把握し、作業員の健康リスクとドリフト問題の両面で対策を取ることが推奨されます。
参考:消費者庁が公開している残留農薬基準値の検索システム(農薬名・食品名から検索可能)