
芳香族求電子置換反応は、ベンゼンなどの芳香環に求電子剤が攻撃し、主に水素と置き換わる形で進行する化学反応です。この反応は、アレーニウムイオン機構(SE2機構)と呼ばれる二段階の過程で進行します。
参考)芳香族求電子置換反応 - Wikipedia
第一段階では、ベンゼン環のπ電子系が求電子剤(E+)を攻撃し、共鳴安定化されたカルボカチオン中間体を生成します。このカルボカチオン中間体は、Wheland中間体またはσ錯体とも呼ばれ、芳香族性が失われた不安定な状態にあります。第二段階では、カルボカチオン中間体のsp3炭素からプロトン(H+)が脱離し、芳香環が再生されることで安定な置換生成物が得られます。
参考)https://www.pharm.or.jp/words/word00454.html
ベンゼン環が持つπ電子系は、電子が環全体に非局在化して安定であるため、この芳香族性を保持した形で反応が進行することが特徴です。また、超酸を使用することでアレーニウムイオンを安定に存在させることも可能であり、反応機構の研究に利用されています。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/kakyoshi/56/7/56_KJ00007515089/_pdf
ニトロ化反応は、芳香環にニトロ基(-NO2)を導入する重要な反応で、硫酸酸性条件下で硝酸を作用させることで進行します。硫酸(Ka≒108)は硝酸(Ka≒102)より強い酸であるため、硝酸から水が脱離して強力な求電子剤であるニトロニウムイオン(NO2+)が生成されます。芳香族ニトロ化合物は医薬、農薬、染料、繊維、プラスチックスなど広範囲にわたる有機工業製品の製造における出発原料として重要であり、世界で年間数百万トンもの規模で生産されています。
参考)有機反応を俯瞰する ー芳香族求電子置換反応 その 1
スルホン化反応は、濃硫酸を芳香族化合物に作用させることでスルホン酸基(-SO3H)を導入する反応です。この反応の特徴は可逆反応であることで、希酸水溶液中で加熱することで脱スルホン化が可能です。スルホン化反応は、ハロゲン化やニトロ化と同様の反応機構で進行しますが、反応条件を調整することで生成物の制御が可能です。
参考)求電子置換反応
京都大学法(京大法)と呼ばれる酸を用いない新しいニトロ化法では、NO2-O2系を用いることで従来法より温和な条件でニトロ化が進行します。アルキルベンゼンやハロベンゼンは氷点下の温度で直ちにニトロ化され、少量のメタンスルホン酸やトリフルオロメタンスルホン酸を添加することでニトロ化力がさらに高められ、ポリニトロ化合物が容易に得られます。
参考)https://www.tcichemicals.com/assets/cms-pdfs/106dr.pdf
ハロゲン化反応は、ベンゼン環の水素原子とハロゲン原子を置き換える反応で、鉄や塩化鉄(III)を触媒として用います。例えばベンゼンの臭素化では、まず鉄が臭素と反応して触媒となる塩化鉄(III)が生成され、これがアルキル化におけるAlCl3と同様に触媒として作用します。臭素分子は触媒と相互作用することで分極し、強力な求電子剤となってベンゼン環を攻撃します。
参考)ベンゼン(構造・特徴・製法・各種反応など)
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フリーデル・クラフツ反応には、アルキル化反応とアシル化反応の二種類があります。アルキル化反応では、ハロゲン化アルキルとルイス酸触媒(AlCl3など)を用いて、カルボカチオンが活性種として作用します。例えば塩化メチルがAlCl3と反応して生じた陽イオンがベンゼンを攻撃し、置換反応が起こります。アシル化反応では、アシリウムイオンが求電子剤として機能し、芳香環にアシル基を導入します。
参考)有機反応を俯瞰する ー芳香族求電子置換反応 その 2
これらの反応は、有機合成における基本的な変換反応として広く利用されており、複雑な芳香族化合物の合成において重要な役割を果たしています。特にフリーデル・クラフツ反応は、炭素-炭素結合の形成を伴うため、分子骨格の構築に不可欠な反応です。
参考)Friedel-Crafts(フリーデルクラフツ)反応をわか…
置換ベンゼンの求電子置換反応では、既存の置換基によって反応の選択性(配向性)が大きく影響を受けます。置換基は電子供与基と電子受容基に分類され、芳香族求電子反応の反応速度と配向性を変化させます。電子供与基は活性基、電子受容基は不活性基とも呼ばれ、これらの置換基効果は誘起効果(σ結合)と共鳴効果(π結合)の二つの影響の兼ね合いで決まります。
参考)芳香族化合物の化学(6)「置換基効果と配向性」|のうむ
電子供与基(-OH、-NH2、-CH3、-OR、-OCORなど)が結合している芳香環は、電子密度が高いため求電子試薬と反応しやすく、主にオルト位とパラ位で置換反応が進行します。これは、置換基からベンゼン環へ電子が流れる共鳴安定化が働くためです。メチル基のようなアルカンも、炭素-水素間の共有結合の電子雲がベンゼン環のπ電子雲と重なる超共役により、オルト・パラ配向性を示します。
参考)置換反応と配向性(オルト・メタ・パラ)
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一方、電子受容基(-NO2、-COOH、-CN、-SO3Hなど)が結合している芳香環は、ベンゼンより反応性が低下し、メタ配向性を示します。これは、配位結合や酸素などの電気陰性度が高い元素との不飽和結合が存在すると、電子吸引性によりメタ位が相対的に電子密度が高くなるためです。ニトロフェノールは非常に酸性度が高く、電子求引性置換基が増えると酸性度は向上しますが、電子供与性置換基では逆に酸性度が低下します。youtube
参考)http://www.ach.nitech.ac.jp/~organic/nakamura/yuuki/OS22-1.pdf
芳香族求電子置換反応には、多様な人名反応が存在し、特定の官能基導入や複雑な分子骨格の構築に利用されています。代表的な反応として、Gattermann-Koch反応では一酸化炭素のプロトン化により生じるホルミルカチオンが求電子剤として作用し、芳香環にホルミル基を導入します。Gattermannアルデヒド合成は、Gatterman-Koch反応の改良版で、シアン化亜鉛と塩酸の反応により系中で発生したシアン化水素が置換反応を起こし、その後イミノ基が加水分解されてアルデヒドが得られます。
フェノール類を用いる反応としては、Kolbé–Schmitt反応、Fries転位、ジアゾカップリング、Reimer–Tiemann反応などがあります。Kolbé–Schmitt反応では、二酸化炭素が求電子剤として作用し、オルト置換体の生成が有利です。これはナトリウムのキレート効果に由来すると考えられています。Reimer–Tiemann反応では、クロロホルムに強塩基を作用させることで発生するジクロロカルベンが求電子剤として作用し、フェノールにホルミル基を導入します。
ピリジン誘導体の反応では、通常のピリジンは芳香族求電子置換反応に対して反応性が低いものの、ピリジンN-オキシドでは酸素原子の非共有電子対が芳香環に流れ込むことで反応性が高められています。Vilsmeier–Haack反応では、DMFとオキシ三塩化リンとの反応により生じるVilsmeier反応剤が求電子剤として作用し、求電子置換反応に続いてアミドが加水分解されることでホルミル基が導入されます。Bischler–Napieralskiイソキノリン合成は、芳香族化合物の分子内にVilsmeier反応剤を発生させ、分子内芳香族求電子置換反応を起こす反応です。
芳香族求電子置換反応は、医薬品、農薬、染料、繊維、プラスチックスなど広範囲にわたる工業製品の製造における基盤技術として重要な役割を果たしています。特にニトロ化合物は、爆薬や医薬品の原料として大規模に生産されており、その合成法の改良は経済的・環境的に大きな意義があります。
参考)芳香族求電子置換反応 : 医薬品合成への貢献(講座:反応はな…
複雑な多置換ベンゼンの合成では、配向性を考慮した戦略的な合成経路の設計が不可欠です。逆合成の考え方を用いて、目的化合物から出発して前駆体を特定し、置換基効果から最適な反応順序を決定します。例えば、三置換ベンゼンを合成する場合、最初に導入する置換基の選択が後続の反応の配向性を決定するため、慎重な計画が必要です。オルト・パラ配向性の置換基とメタ配向性の置換基が共存する場合、配向性の優先順位を考慮して合成経路を設計します。
参考)http://bake.kuchem.kyoto-u.ac.jp/chembio/member/goto_class/ORC_12_handout_2018.pdf
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最近の研究では、外部電場を利用した芳香族求電子置換反応の制御など、新しい反応制御法の開発も進められています。また、従来の二段階SNAr機構ではなく、協奏的な機構で進行する求核芳香族置換反応の発見など、芳香族化学の理解は深化を続けています。これらの知見は、より効率的で環境に優しい合成法の開発につながっており、建築材料の化学修飾や機能性材料の創製にも応用の可能性を広げています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9849230/
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ケムステーション:芳香族求電子置換反応の詳細な反応機構解説
日本薬学会:芳香族求電子置換反応の薬学的応用
化学と教育:芳香族求電子置換反応の医薬品合成への貢献