

比較表に細工した業者の社員が、修繕委員として1年近く議論に参加し続けていたとしたら、その工事費は数千万円単位で割高になります。
2025年5月から6月にかけて、神奈川県内の分譲マンションで衝撃的な事件が発覚しました。大規模修繕工事の施工会社(以下「業者X」)の社員2名が住民になりすまして修繕委員会に潜入し、自社の関連会社が有利になるよう議論を誘導していたというものです。
業者Xは大阪府東大阪市に本社を置き、東京都内にも拠点を持つ従業員100名以上の施工会社です。2026年2月28日に報道された最新情報では、神奈川県警が潜入した社員2名と業者Xの社長の合わせて3名を、詐欺未遂と偽計業務妨害の疑いで書類送検したことが明らかになっています。
会社名はいまだ正式には公表されていませんが、報道で判明している特徴から候補が絞られています。大阪府東大阪市に本社があり、大規模修繕工事を主業とする施工会社として、テイエム技建・エムテクト・ユウシンリノベートの3社の名が挙がっています。なお、なりすましを行った業者は業界内では「T社」とも呼ばれています。
この事件の背景には、管理組合の修繕委員会が億単位の工事費を動かす「金脈」であるという構造的な問題があります。国土交通省の調査によれば、1戸あたりの大規模修繕工事費は120万円〜150万円が目安であり、100戸規模のマンションなら1億5,000万円規模の工事費が動きます。専門知識を持たない住民のボランティアが運営する管理組合は、プロの詐欺師にとって格好のターゲットになるわけです。
さらに注目すべきは、この事件が孤立した個別事例ではないという点です。2025年3月には公正取引委員会が約20社超の大手修繕工事会社に談合の疑いで立ち入り検査を行い、その後対象は約30社超に拡大しています。大京穴吹建設・長谷工リフォームなどの大手企業名も検査対象に含まれたことで、業界全体への信頼が揺らいでいます。
LIFULL HOME'S PRESS「相次ぐマンション住民なりすましの実態と対策」:なりすましの3段階構造と専門家の分析を詳しく解説
今回の事件で最も驚くべきは、業者Xが用いた手口の巧妙さです。単純な不法侵入ではなく、段階的・組織的に修繕委員会へ潜入していく手法が明らかになっています。
第1段階:覆面調査のアルバイトで接触
業者Xの社員はまず、マンションの集合ポストに「覆面調査(ミステリーショッパー)のアルバイト募集」チラシを投函しました。最初は飲食店の覆面調査と偽り、応募してきた住民と信頼関係を築いた後、「マンションの修繕調査」にすり替え、最終的には住民の名義を借りる形で委員会に参加しました。1件あたり1万5,000円のアルバイト料を提示しており、住民が騙されやすい設計になっていました。
第2段階:修繕委員として理事会の承認を得る
借りた名義で修繕委員に申し込み、理事会の承認を通過。誰も不審に思わないまま、委員として9ヶ月もの間、会議に参加し続けました。
第3段階:比較表の情報を捏造して誘導
最も悪質なのがこの段階です。潜入した社員は「修繕に詳しい」と自ら名乗り出て、設計コンサルタント会社の公募作業を引き受けました。複数の候補会社の比較表を作成した際、業者Xの元社員が代表を務める関連会社だけに有利な条件が設定され、他社には虚偽の×や△が付けられていたと管理組合関係者は指摘します。住民はまともな比較検討をしているつもりが、その比較資料自体が操作されていたわけです。
この手口の恐ろしさは、被害に遭っていながら気づけないという点です。さくら事務所のマンション管理コンサルタント土屋氏によれば、なりすまし業者は「節約したい」という住民の心理を巧みに利用し、専門家でも即座に真偽を判断しにくいもっともらしい情報を提示するとのことです。
加えて、同ネットワークへの全国からの情報提供によって判明した事実として、不正に関与した設計コンサルと業者が作成した文書には、まったく別のマンション案件であるにもかかわらず、箇条書きの順番まで一致するほぼ同一の注意事項文が使い回されていたことが確認されています。これはルーティン化した組織的犯行を強く示唆しています。
今回の事件が特に深刻なのは、住民へのなりすましが「全体像の一端にすぎない」という点です。LIFULL HOME'S PRESSの取材に応じた専門家によれば、修繕委員会をめぐるなりすましには大きく3つの段階(フェーズ)があります。
ファーストフェーズ:住民なりすまし
修繕事業者の社員が住民になりすまして修繕委員会に潜入し、自社や関連会社に有利なよう議論を誘導する。今回逮捕・書類送検された事件がこれに該当します。
セカンドフェーズ:コンサルタントと業者の結託
設計コンサルタントが特定の施工業者を施工会社の一部に潜り込ませるケースです。本来は住民側の中立的な支援者であるはずの設計コンサルが、特定業者と結託して受注を誘導します。国土交通省は2017年の段階からこの問題を警告していたにもかかわらず、依然として後を絶ちません。
サードフェーズ:多重下請け構造での系列支配
元請け会社が下請けに特定の系列業者を採用し、工事全体が特定のグループによって掌握されるケースです。社員が二次・三次下請け業者の代表として登記されていたり、現場ごとに複数の名刺やメールアドレスを使い分けるケースも確認されています。
ここで建築業従事者が特に知っておくべき問題があります。それは、なりすまし行為が発覚して逮捕者まで出た事業者であっても、建設業許可が維持され続け、行政処分すら下らないケースがあるという点です。大規模修繕情報交換ネットワークのA氏は「本来信頼の証であるはずの建設業許可が、免罪符のようになってしまっている」と強く批判しています。
建設業法第29条に基づけば、不正行為があれば許可取消・5年間の再取得禁止も可能なはずです。しかし現実には、刑事手続きが先行しており、行政処分まで至らないケースが目立ちます。
さいたま市が2025年11月に開催したマンション基礎セミナーの資料によれば、なりすまし件数は2021年の3件から2025年上半期だけで5件へと増加傾向にあります。業界内では「ブルーオーシャン(未開拓の有望市場)」とも称されるほど、マンション修繕市場への不正参入が後を絶たない状況が続いています。
さいたま市「大規模修繕工事 談合・なりすましを見抜く」(PDF):NPO法人埼玉県マンション管理組合ネットワークによるセミナー資料。法的側面と防止策の実務例を詳述
建築業従事者として、あるいは管理組合側として、なりすましを事前に察知するにはどうすればよいのでしょうか。専門家の知見と実際の事例から得られた、実務で使えるサインと対策を整理しました。
🔴 危険サイン①:比較表の構成が似ている
異なる業者・コンサルが作成した比較表であるにもかかわらず、「下段に○×表がある構成」かつ「×・△部分が黄色背景」という点が一致している場合は要注意です。これは、なりすまし業者が同一の書式テンプレートを使い回している可能性を示します。
🔴 危険サイン②:募集要項の注意事項がほぼ同文
「選定結果は公表しません」「選定後の異議申し立ては認めません」などの文言が、過去に不正が疑われた物件の資料とほぼ同一の場合、不正なルーティン化が疑われます。
🔴 危険サイン③:委員候補者が知識豊富すぎる
修繕委員に立候補してきた人物が、専門家並みの知識を持ち、積極的に特定の方向へ議論を誘導しようとする場合は注意が必要です。
✅ 対策①:委員就任時の本人確認を規約に明記する
2025年10月の標準管理規約改正では、「役員や専門委員の就任時の本人確認を適切に実施することが有効」という文言が追加されました。顔写真付き本人確認資料の提出を規約に明記しておけば「規約で定められています」と言いやすくなります。本人確認が条件です。
✅ 対策②:コンサル・業者から誓約書を取る
設計コンサルや施工業者を選定する際、「キックバック・紹介料・マーケティング費用等の名目でいかなる金銭も受け取らない」旨の誓約書を、違約金条項つきで会社として提出させることが効果的です。これを拒否する業者は選定から外す判断基準になります。
✅ 対策③:業者の経歴と登記内容を確認する
代表者の経歴、法人登記の内容、二次・三次の下請けへの取引偏りがないかを事前に調べることが重要です。法務局の登記情報サービス(G-BizINFO)などを活用すれば、法人情報の確認を手間なく行えます。
✅ 対策④:管理組合同士で情報共有する
個々の管理組合が単独でなりすましを見抜くことには限界があります。2025年7月に設立された「大規模修繕情報交換ネットワーク」は設立から5ヶ月足らずで数十件の相談が寄せられた非営利の市民組織であり、同様の違和感を持つ管理組合が情報を共有する場として機能しています。
LIFULL HOME'S PRESS「相次ぐマンション住民なりすましの実態と対策」:見破りのためのサインと、管理組合の具体的な対策を専門家が詳述
一連のなりすまし・談合問題で見落とされがちなのが、適正な仕事をしている多くの建築業従事者・施工会社が受ける深刻な風評被害です。これは読者である建築業従事者にとって、直接的かつ重大なデメリットといえます。
2025年3月以降の公正取引委員会による立ち入り検査と、その後の相次ぐ報道によって、管理組合や居住者の間に「修繕業者は不正をする」というイメージが広がりつつあります。実際、設立から5ヶ月で数十件の相談が大規模修繕情報交換ネットワークに寄せられたという事実が、この不信感の広がりを示しています。
この流れは、正直に仕事をしている施工会社にとっても受注機会の喪失につながります。意外に思えるかもしれませんが、「業者全体への不信感」が高まることで、透明性の低い独自経路を持つ悪質業者よりも、正規の公募に応じる誠実な業者のほうが弾かれてしまうという逆説的な状況も生まれています。
こうした状況を逆手に取り、差別化を図ることが建築業従事者にとってのチャンスでもあります。具体的には次のような取り組みが有効です。
- 透明性の可視化:施工実績一覧・下請け会社の公開・キックバックなし宣言などを自社ウェブサイトやパンフレットに明記する。
- 誓約書の先出し:管理組合側から求められる前に、自社から積極的に誓約書を提出する。「正直な会社」としての信頼を先取りする形になります。
- 第三者機関の活用:マンション管理士や中立的なコンサルタントが参加する選定プロセスに積極的に応じる姿勢を示す。
業界内で「なりすまし問題」が話題になっている今こそ、コンプライアンス体制の整備と情報公開を積極的に行うことが、中長期的な受注安定につながります。つまり競合の不正が、誠実な業者への追い風になるということです。
さらに、2025年10月の標準管理規約改正・2026年施行の区分所有法改正によって、今後は委員会の本人確認や業者選定プロセスの透明化が法制度として整備される方向にあります。この規制強化の流れをいち早く自社の強みとして取り込めるかどうかが、今後の競争優位を左右します。
| 対応 | 悪質業者 | 誠実な業者(推奨) |
|---|---|---|
| 委員会への参加方法 | なりすまし潜入 | 正規の公募に応募 |
| 比較表・選定資料 | 自社有利に捏造 | 第三者が作成・検証 |
| 誓約書の提出 | 拒否・回避 | 違約金条項つきで積極提出 |
| 下請け情報の公開 | 非公開・名義操作 | 事前に登記・実態を開示 |
| 管理組合との関係 | 情報を独占・操作 | 議事録・情報をオープンに共有 |
誠実な業者であることを「見える化」することが、今の時代の受注戦略の基本です。