
鉄筋の引張強度とは、鉄筋が破断せずに耐えることができる最大の荷重を示す値です。「引張強さ」とも呼ばれ、鉄筋コンクリート構造物の設計において非常に重要な指標となります。
引張強度は、鉄筋が完全に破断する直前の最大応力を表しており、一般的に降伏強度よりも高い値を示します。例えば、SD295Aという一般的な鉄筋の場合、引張強度は440~600N/mm²の範囲に規定されています。
鉄筋コンクリート構造において、コンクリートは圧縮に強く引張に弱いという特性があります。そのため、引張力が作用する部分に鉄筋を配置することで、構造物全体の強度を確保しています。つまり、鉄筋の引張強度はコンクリート構造物の安全性を直接左右する重要な要素なのです。
建築基準法や日本建築学会の「鉄筋コンクリート構造計算規準」では、鉄筋の引張強度に関する基準が明確に定められており、設計者はこれらの基準に従って適切な鉄筋を選定する必要があります。
引張強度の高い鉄筋を使用すれば、理論上はより細い鉄筋でも同等の強度を確保できますが、定着長さや付着性能なども考慮する必要があるため、単純に高強度の鉄筋を選べばよいというわけではありません。
鉄筋の降伏強度とは、鉄筋に外力が加わった際に塑性変形(永久変形)が始まる時点の応力値を指します。この値を超えると、鉄筋は元の形状に戻らない変形を起こし始めます。
降伏強度は鉄筋の材質によって大きく異なり、日本工業規格(JIS)では235N/mm²から625N/mm²までの範囲で規定されています。例えば、一般的に使用されるSD345の場合、降伏強度は345~440N/mm²とされています。
降伏強度は鉄筋コンクリート構造の設計において非常に重要な指標です。なぜなら、構造物に大きな力が加わった場合、鉄筋が降伏点を超えて塑性変形することで、エネルギーを吸収し、急激な破壊を防ぐ役割を果たすからです。
鉄筋が降伏強度に達すると、応力-ひずみ曲線上で明確な変化点(降伏棚)が現れます。この特性により、設計者は構造物の限界状態を予測しやすくなります。特に地震時などの極端な荷重条件下では、鉄筋の降伏特性が構造物の粘り強さ(靭性)を決定づける重要な要素となります。
実際の設計では、降伏強度に安全率を考慮した許容応力度が用いられますが、極限状態設計法では降伏強度そのものが重要な設計パラメータとなります。
鉄筋の材質は、その引張強度に大きな影響を与えます。日本の建築・土木分野で使用される鉄筋は、JIS規格によって明確に分類されており、それぞれ異なる引張強度を持っています。
まず、鉄筋の種類を表す記号について理解しておきましょう。例えば「SD345」という表記の場合、「SD」は異形鉄筋(Deformed Bar)を、「345」は降伏強度が345N/mm²以上であることを示しています。一方、「SR」で始まる記号は丸鋼(Round Bar)を表します。
各材質の引張強度を比較してみましょう:
このように、材質によって引張強度は大きく異なります。一般的に、降伏強度が高い材質ほど引張強度も高くなる傾向がありますが、その比率(引張強度/降伏強度)は材質によって異なります。
実際の建築現場では、構造物の重要度や要求される性能に応じて適切な材質の鉄筋が選択されます。例えば、一般的な住宅建築ではSD295やSD345が多く使用されますが、高層ビルや特殊な構造物ではSD390やSD490などの高強度鉄筋が採用されることもあります。
材質選定の際には、引張強度だけでなく、コストや加工性、溶接性なども考慮する必要があります。高強度になるほど価格は上昇し、加工難易度も高くなる傾向があるため、必要以上に高強度の材質を選定することは経済的ではありません。
建築構造設計において、鉄筋の引張強度や降伏強度をそのまま設計値として使用するのではなく、安全率を考慮した「許容応力度」が用いられます。許容応力度とは、材料に許容される最大の応力値であり、実際の強度よりも低く設定されています。
鉄筋の許容応力度は、長期荷重と短期荷重で異なる値が設定されています。長期荷重とは、建物の自重や通常の使用状態での荷重を指し、短期荷重とは地震や強風などの一時的な荷重を指します。
各鉄筋材質の長期・短期許容応力度を見てみましょう:
鉄筋種類 | 長期許容応力度(N/mm²) | 短期許容応力度(N/mm²) |
---|---|---|
SR235 | 155 | 235 |
SR295 | 155 | 295 |
SD295A・B | 195 | 295 |
SD345 | 215 (D29以上は195) | 345 |
SD390 | 215 (D29以上は195) | 390 |
SD490 | 215 (D29以上は195) | 490 |
この表から分かるように、短期許容応力度は基本的に降伏強度と同じ値に設定されていますが、長期許容応力度はかなり低く設定されています。これは、長期間にわたって荷重がかかり続ける場合の安全性を確保するためです。
例えば、SD345の場合、降伏強度が345N/mm²であるのに対し、長期許容応力度は215N/mm²と、約62%の値に設定されています。この差が安全率として機能し、予期せぬ荷重増加や材料のばらつき、経年劣化などに対する余裕を確保しています。
設計者は、これらの許容応力度を超えないように部材断面や鉄筋量を決定します。特に重要な構造物や特殊な条件下では、さらに厳しい安全率が適用されることもあります。
鉄筋の引張強度は、定着長さの計算に直接影響を与える重要な要素です。定着長さとは、鉄筋がコンクリート内に埋め込まれる長さであり、鉄筋に作用する引張力をコンクリートに確実に伝達するために必要な長さを指します。
鉄筋の強度が高いほど、その鉄筋には大きな引張力が作用する可能性があるため、より長い定着長さが必要になります。これは、鉄筋とコンクリートの間の付着力に関係しています。
日本建築学会の「鉄筋コンクリート構造計算規準」によれば、基本定着長さは以下の式で計算されます:
基本定着長さ = α × d × (σy / √Fc)
ここで:
この式から分かるように、鉄筋の降伏強度が高いほど、必要な定着長さは長くなります。例えば、同じ直径のSD295とSD490を比較すると、SD490の方が約1.7倍の定着長さが必要になります。
実際の設計では、鉄筋の配置状況や端部の処理方法(フック付きかストレートか)、コンクリートのかぶり厚さなどによって、基本定着長さに補正係数を乗じて最終的な定着長さを決定します。
定着長さが不足すると、鉄筋が引張力を受けた際にコンクリートから抜け出してしまう「抜け出し破壊」が生じる恐れがあります。これは構造物の安全性に直結する重大な問題であるため、適切な定着長さの確保は設計上非常に重要です。
高層建築や特殊構造物では、限られたスペース内で必要な定着長さを確保するために、機械式定着具を用いたり、定着部のコンクリート強度を高めたりする工夫も行われています。
鉄筋の引張強度を正確に測定するためには、標準化された試験方法が用いられます。日本では、JIS Z 2241「金属材料引張試験方法」に基づいて引張試験が実施されます。
引張試験の基本的な手順は以下の通りです:
この試験から得られるデータを基に、応力-ひずみ曲線を作成し、降伏強度と引張強度を決定します。降伏強度は明確な降伏点がある場合はその値を、ない場合は0.2%永久ひずみを生じる応力(0.2%耐力)を採用します。引張強度は試験中に記録された最大応力として定義されます。
JIS規格では、各種鉄筋に対して以下のような強度評価基準が設けられています:
例えば、SD345の場合、降伏強度は345~440N/mm²、引張強度は490N/mm²以上、伸び率は16%以上と規定されています。
実際の建設現場では、使用する鉄筋のロットごとにサンプリング検査が行われ、これらの基準を満たしていることが確認されます。特に重要な構造物では、より厳しい検査基準が適用されることもあります。
引張試験の結果は、ミルシート(製造証明書)として記録され、トレーサビリティが確保されます。これにより、万が一問題が発生した場合でも、使用された鉄筋の品質を遡って確認することが可能です。
鉄筋の引張強度は、鉄筋コンクリート構造物の設計において多様な形で活用されています。構造設計者は、この特性を理解し、適切に活用することで、安全かつ経済的な構造物を実現しています。
まず、曲げ部材(梁やスラブなど)の設計では、引張側に配置する鉄筋の強度が直接的に部材の曲げ耐力に影響します。引張強度の高い鉄筋を使用することで、同じ断面積でもより大きな曲げモーメントに抵抗できるようになります。ただし、実際の設計では降伏強度を基準とした計算が一般的です。
次に、せん断補強筋(スターラップやあばら筋)の設計では、鉄筋の引張強度がせん断耐力に直接関係します。高強度の鉄筋を使用することで、せん断補強筋の本数や間隔を調整でき、配筋の合理化が図れます。
また、柱と梁の接合部など、応力が集中する部位では、鉄筋の引張強度と降伏後の挙動が構造物の靭性(粘り強さ)に大きく影響します。特に地震国である日本では、大地震時に構造物が崩壊せずに持ちこたえるための靭性確保が重要であり、鉄筋の材質選定が慎重に行われます。
実際の設計実務では、以下のような点に注意して鉄筋の引張強度を活用しています: