

工事の依頼主が「賃貸人」か「賃借人」かを間違えると、あなたの工事代金が回収できなくなります。
建築や不動産の現場で頻繁に登場する「賃貸人」と「賃借人」という言葉ですが、漢字の見た目が似ているため、どちらが「貸す側」でどちらが「借りる側」なのか混乱してしまう方も少なくありません。まず読み方から確認しましょう。
「賃貸人」は「ちんたいにん」と読み、物件やスペースを貸し出す側の人を指します。つまり、大家さん・建物オーナーのことです。一方、「賃借人」は「ちんしゃくにん」と読み、お金(賃料)を払って物件を借りる側の人を指します。テナントや入居者がこれにあたります。
| 賃貸人(ちんたいにん) | 賃借人(ちんしゃくにん) | |
|---|---|---|
| 立場 | 貸す人(大家・オーナー) | 借りる人(入居者・テナント) |
| 別の呼び名 | 貸主・家主 | 借主・入居者 |
| 契約書の表記 | 甲(が多い) | 乙(が多い) |
| 賃料 | 受け取る側 | 支払う側 |
💡 覚え方のコツとして、「賃貸人」の「貸」は「かす」、「賃借人」の「借」は「かりる」と読むことに注目すれば一発で区別できます。
実は建築業に従事する方がこの2つを間違えると、深刻なトラブルにつながります。たとえば、リフォーム工事を依頼してきたのが「賃借人(借主)」なのに、修繕義務は「賃貸人(大家)」にあるケースでは、工事費用の最終的な負担者が誰なのかを事前に確認しておかないと、代金が回収できなくなる危険があります。これは法的リスクに直結するため、現場での確認が不可欠です。
つまり「貸す側」か「借りる側」かが原則です。この一点だけ押さえておけばOKです。
賃貸借契約では、「賃貸人」と「賃借人」の双方が、民法に基づく義務を負います。これを正確に理解していないと、建築工事を行う際の根拠判断を誤ることになります。
賃借人の3つの義務をまとめると以下のとおりです。
- 💴 賃料支払い義務:契約で定めた期日までに家賃(賃料)を支払う義務(民法第601条)。家賃を滞納した場合、最終的には強制退去の対象になります。
- 🔧 原状回復義務:退去時に、経年劣化・通常損耗を除く損傷を元の状態に戻す義務(民法第621条)。喫煙によるヤニ汚れや無断DIYによる損傷などは賃借人の負担になります。
- 📋 契約内容遵守義務:無断転貸の禁止、ペット飼育制限、目的外使用の禁止など、契約書に記載されたルールを守る義務(民法第594条1項・第616条)。
賃借人が義務を守らない場合、賃貸人から契約解除や損害賠償請求を受けることがあります。建築業者が賃借人側から内装工事などを依頼された場合、その内容が契約違反にならないかを確認しておく必要があります。これは重要なポイントです。
一方、賃貸人の主な義務は次の3点です。
- 🏠 使用収益させる義務:物件を安全・快適に使用できる状態に保つ義務(民法第601条)。廊下や階段など共有部分の管理も含まれます。
- 🔩 修繕義務:使用・収益に必要な修繕を行う義務(民法第606条1項)。雨漏りや設備の故障など、賃借人の責任ではない損傷の修繕は原則として賃貸人の負担です。
- 💰 費用償還義務:賃借人が必要な修繕費用を立て替えた場合、賃貸人はそれを返還する義務(民法第608条1項)。
費用償還義務が原則です。建築業者が賃借人から工事を請け負う場面では、この「費用を後から賃貸人に請求する構造」を把握しておくことで、見積もりの提示方法や支払い条件の交渉が変わってきます。
参考:賃貸人・賃借人の修繕に関する義務と権利の法的根拠(公益社団法人 全日本不動産協会)
賃借人による賃貸人の修繕要求の拒否(全日本不動産協会)
建築・リフォーム業に関わる方が最も注意すべきトピックが「修繕の権利と義務」です。2020年4月の民法改正により、この点のルールが大きく変わりました。
改正前は、修繕が必要になっても賃借人はひたすら賃貸人に修繕を求めるしかありませんでした。ところが改正民法第607条の2により、賃借人が自ら修繕できる「修繕権」が明文化されたのです。具体的には、以下の2つの場面で賃借人は自ら修繕を行うことが認められています。
- ① 賃借人が賃貸人に修繕が必要な旨を通知し、または賃貸人がそれを知ったにもかかわらず、賃貸人が相当の期間内に修繕をしない場合
- ② 急迫の事情(例:雨漏りが急激にひどくなった、電気系統が突然故障した)がある場合
この修繕権が重要な理由は、賃借人が修繕を行った場合、その費用は最終的に賃貸人が負担するからです(民法第608条1項)。賃借人はかかった費用を賃貸人に対してただちに請求できます。
たとえば、賃借人である店舗テナントが「天井からの雨漏りが急にひどくなり、賃貸人に連絡しても2週間以上対応がなかった」という状況で建築業者に修繕を依頼した場合、この費用は原則として賃貸人が負担すべきお金です。数十万円規模の工事費が後から賃貸人と賃借人の間で争いになるケースもあります。
建築業者としては、工事前に「依頼主(賃借人)が修繕権を行使した上での依頼か」「賃貸人との間でどのような合意があるのか」を確認することが、代金未払いリスクの回避につながります。この確認だけで大きな損害を防げます。
参考:2020年民法改正による賃借人の修繕権の明文化について(法務省PDF)
賃貸借契約に関する民法のルールが変わります(法務省)
建築業に従事する方にとって、賃貸人と賃借人の区別は「法律の話」で終わらず、直接的な売上・代金回収に影響します。具体的にどのようなリスクがあるかを見ていきましょう。
リスク①:依頼者の立場を確認しないまま着工する
たとえば、あるビルの一室にテナントとして入居している賃借人から「店内の壁を塗り替えたい」という依頼を受けたとします。この場合、賃貸借契約書で「増改築・改装には賃貸人の書面による承諾が必要」と定められているのが一般的です(民法第616条準用・第594条1項)。賃貸人の承諾なしに行われた工事は契約違反となり、賃借人が退去を求められる事態にもなりかねません。その結果、賃借人が急遽退去した場合、工事代金の回収が困難になるリスクがあります。
リスク②:工事後の費用負担者が不明確なまま進める
雨漏りや給水設備の修繕など、修繕義務が賃貸人にある工事を賃借人から依頼された場合、費用の最終的な支払い者は賃貸人になるべきケースが多いです。ところが建築業者が賃借人とだけ契約していると、賃借人が賃貸人に費用請求できなかった・揉めたという事情で、支払いが遅延・停止するリスクがあります。見積もりの段階で支払い主体を明確にしておくことが必須です。
痛いですね。実際に建築業界でもこのようなトラブルは一定数発生しています。
リスク③:リフォーム会社が「賃貸人の履行補助者」とみなされる
建物オーナー(賃貸人)から修繕工事を請け負ったリフォーム会社が、施工ミスによって階上から漏水を発生させたとします。この場合、裁判例において、リフォーム会社は「賃貸人の履行補助者」とみなされ、工事ミスによる賃借人への損害について建物オーナーとともに賠償責任を負うと判断されたケースがあります。つまり、自社の施工責任が賃借人への損害賠償にまで及ぶ可能性があるということです。建築業者にとって他人事では済まない法的リスクがここにあります。
参考:リフォーム会社が賃貸人の履行補助者とされた事例(弁護士コラム)
リフォーム会社の不注意で漏水した場合の責任(弁護士解説)
工事着手前に、依頼者が賃貸人か賃借人か、賃貸人との合意はあるかを書面で確認する習慣をつけることが、長期的に安定した代金回収につながります。「確認書1枚」が数十万円の損失を防ぐ盾になります。これは使えそうです。
「原状回復」は、建築・リフォーム業者が最も多くの工事を請け負う場面の一つです。退去時に「どこをどこまで直すのか」「費用は誰が負担するのか」は、国土交通省が策定した「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」に基づいて判断されます。
ガイドラインの基本原則は以下のとおりです。
- 📌 賃貸人負担となるもの:経年変化による壁や床の変色、通常の使用による損耗(日焼け・小さなキズなど)
- 📌 賃借人負担となるもの:タバコのヤニ汚れ・ペットの引っかき傷・無断DIYによる穴・水回りの不適切管理によるカビなど、故意・過失・善管注意義務違反に基づく損傷
このガイドラインに基づき費用負担が決まるため、建築業者が行う原状回復工事の見積もりは「経年劣化分」と「賃借人の責任による損耗分」を明確に区別して提示することが望ましいとされています。費用負担が明確であるほどトラブルが起きにくく、結果として業者への支払いもスムーズになります。
また、オフィスや事業用建物の原状回復は、居住用賃貸とは異なる点に注意が必要です。居住用ではガイドラインが強く機能しますが、事業用賃貸では契約書の特約内容が優先されることが多く、賃借人がほぼ全額の原状回復費用を負担するケースも珍しくありません。
たとえば、坪単価で5万円から10万円程度の原状回復費用が設定されているオフィスの場合、50坪の物件なら250万〜500万円規模の工事が発生します。これは建築業者にとって大きな受注機会ですが、同時に費用負担の取り違えによるトラブルも起きやすい金額帯です。
原状回復が条件です。工事前に「居住用か事業用か」「特約の内容はどうなっているか」を確認した上で見積もりを作成する流れを、社内ルールとして定めておくと安心です。
参考:国土交通省「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」(公式ページ)
原状回復をめぐるトラブルとガイドラインについて(国土交通省)
建築業界では、「依頼が来たら受注する」という姿勢が当然のことのように根付いています。しかし不動産賃貸借の文脈では、依頼してきた人物が「賃貸人」なのか「賃借人」なのかによって、その工事を発注できる法的な権限の有無が変わってきます。これは多くの建築業者が見落としているリスクです。
賃借人が自分で修繕を発注できるのは、先述の「修繕権」が認められる場面に限られます。その範囲を超えた工事、たとえば賃貸物件の構造に影響を与える増改築は、賃貸人の承諾がない限り、賃借人には発注できる権限がありません(民法第616条・第594条1項)。
それでも現場では、賃借人が「大家さんには話を通してある」と口頭で言うだけで工事が進んでしまうことがあります。もし後から大家(賃貸人)が「聞いていない」と主張した場合、建築業者は工事代金の請求先を失う事態になりかねません。契約を結ぶ前に確認するのが基本です。
実務上の対策として、以下の3点を着工前の標準確認項目として設けることを推奨します。
- ✅ 依頼者の立場の確認:依頼者が賃貸人(オーナー)か賃借人(テナント・入居者)かを契約書類で確認する
- ✅ 賃貸借契約書の確認:工事内容が賃貸借契約上の禁止事項に触れていないかを確認する(または確認書を取り付ける)
- ✅ 賃貸人の承諾書の取得:賃借人からの依頼で、改装・内装工事・設備変更を行う場合には賃貸人の書面による承諾を取得する
書面での確認が条件です。「口約束があれば問題ない」という認識は、特に数十万円以上の工事では非常に危険です。代金未払いトラブルの多くは「誰がどこまで承諾していたか」が不明確なことに起因しています。1件あたりの平均的な工事代金が100万円前後である建築工事では、このような確認の習慣化が経営リスクの大幅な低減につながります。
また、最近では賃貸借契約書のデジタル化が進んでおり、賃貸人・賃借人・建築業者の三者間でオンライン上の合意書を締結できるサービスも増えています。クラウドサインなどの電子契約サービスを利用することで、書面確認のコストを下げながらリスク管理を強化することも一つの選択肢です。
参考:事業用建物賃貸借契約で判明する法規制と実務対応のポイント(弁護士法人解説)
テナント賃貸借契約後に判明する法規制と実務対応(牛島総合法律事務所)