
形状記憶合金(Shape Memory Alloy、SMA)は、特殊な金属材料で、通常の金属とは異なる二つの重要な特性を持っています。一つは「形状記憶効果」で、変形後に加熱すると元の形状に戻る性質です。もう一つは「超弾性効果」で、常温でも大きな変形を与えても力を除くと元の形状に戻る性質です。
建築構造において特に注目されているのは超弾性効果です。一般的な鋼材が0.5%程度の変形を超えると永久変形してしまうのに対し、形状記憶合金は数%から最大20%程度の変形を与えても元の形状に復元します。この特性は、地震による建物の揺れを吸収し、建物本体の損傷を防ぐのに理想的です。
形状記憶合金の結晶構造は、温度や応力によって「オーステナイト相」と「マルテンサイト相」の間で変化します。この相変態が、形状記憶合金の特異な性質の源です。建築分野では、常温で超弾性を示す合金が特に重要で、これにより地震エネルギーを吸収しながらも、地震後に建物が元の状態に戻ることが可能になります。
建築物への形状記憶合金の応用で最も実用化が進んでいるのが、耐震ブレース(筋交い)と耐力壁です。
大手住宅メーカーの積水ハウス建設では、「形状記憶耐力壁」を開発・商品化しています。この耐力壁は、銅・アルミ・マンガン合金の形状記憶合金を組み込んだブレースを使用しており、大地震時に極めて高い変形能力を発揮します。通常の耐力壁と比較して、繰り返しの地震に対しても安定して力を負担できる点が大きな特徴です。
実験では、補強していない建物が1回目の地震で20cm以上変形して倒壊するのに対し、形状記憶耐力壁で補強した建物は3回の地震後も安全に避難できるレベルの変形にとどまることが確認されています。これは2016年の熊本地震のように、震度6以上の地震が複数回発生するような状況でも効果を発揮します。
また、京都大学を中心とした研究グループは、鉄骨構造向けの超弾性ブレースを開発しました。従来の鉄製ブレースが地震で一度伸びるとダメになってしまうのに対し、形状記憶合金を一部に使用したブレースは、揺れで伸びても元に戻り、繰り返しの地震にも対応できます。
木造住宅は日本の住宅の多くを占めており、その耐震性向上は重要な課題です。形状記憶合金は木造住宅の耐震補強にも革新的な解決策を提供しています。
木造住宅への応用として注目されているのが、コンクリート基礎と木造部分を接合するアンカーボルトへの形状記憶合金の活用です。地震時にボルトがわずかに伸びて揺れを吸収し、その後すぐに元の状態に戻ることで、木造住宅の耐震性を向上させる効果があります。
また、木造住宅の筋交いに形状記憶合金を組み込むことで、従来の金属製筋交いよりも優れた耐震性能を実現できます。通常の筋交いは一度の大地震で塑性変形してしまいますが、形状記憶合金を使用した筋交いは繰り返しの地震にも対応できます。
特に1981年から2000年に建てられた木造住宅は、接合部の規定が明確でなく耐震性が不十分な場合が多いため、形状記憶合金による補強が効果的です。耐震診断と組み合わせることで、既存住宅の耐震性を大幅に向上させることができます。
形状記憶合金にはいくつかの種類があり、建築用途に応じて適切な材料を選定することが重要です。
最も一般的なのはニッケルチタン(Ni-Ti)合金で、優れた超弾性特性と耐久性を持ちますが、高コストが課題でした。これに対し、近年注目されているのが銅-アルミニウム-マンガン(Cu-Al-Mn)合金です。この合金は、従来のNi-Ti合金と比べて低コストで製造でき、建築材料として実用的なサイズの形状記憶合金の製造を可能にしました。
また、鉄-マンガン-ケイ素合金などの鉄系形状記憶合金も開発されており、より低コストでの応用が期待されています。最近では、チタン-アルミニウムを主成分とする軽量で高強度の形状記憶合金も開発され、約400度の温度変化でも超弾性を示すため、極端な温度変化がある環境でも使用できる可能性があります。
建築用途での選定ポイントとしては、以下の点が重要です。
形状記憶合金の建築応用は、まだ発展途上の分野ですが、その将来性は非常に有望です。現在の課題と今後の展望について考えてみましょう。
最大の課題はコストでした。しかし、Cu-Al-Mn合金の開発により、従来のNi-Ti合金よりも低コストで大型の形状記憶合金が製造できるようになりました。研究者たちは、金属の結晶構造を制御する技術を開発し、通常の工場で製造可能な建築材料サイズの形状記憶合金の製造に成功しています。
また、建築基準法の制約も課題の一つです。現在、形状記憶合金は主に既存建築物の耐震補強に使用されており、新築建築への適用には制限があります。しかし、実証実験の積み重ねにより、徐々に規制緩和が進むことが期待されています。
将来的には、以下のような応用が期待されています。
特に注目すべきは、形状記憶合金と他の先端材料との複合利用です。例えば、鉄筋コンクリート構造において、形状記憶合金の鉄筋と繊維強化コンクリートを組み合わせることで、より強靭な建築構造が実現できる可能性があります。
また、IoT技術と組み合わせることで、建物の状態をリアルタイムでモニタリングし、地震後の安全性評価を迅速に行うシステムの開発も進んでいます。
形状記憶合金の建築応用は、単なる耐震技術の向上だけでなく、建築物の在り方そのものを変える可能性を秘めています。災害に強く、持続可能な社会インフラの構築に向けて、この革新的な材料の活用がさらに広がることでしょう。
建築分野における形状記憶合金の応用は、まさに「かしこい技術」の実現と言えます。地震大国日本において、この技術の発展は安全・安心な社会の構築に大きく貢献するものと期待されています。
名古屋大学減災連携研究センターの形状記憶合金に関する研究報告
一般財団法人日本建築総合試験所による構造用形状記憶合金の開発と応用に関する詳細資料