

アースドリル工法において、安定液の管理は施工の成否を分ける生命線です。従来、孔壁の崩壊を防ぐためには「粘度を高くして孔壁を押さえつける」という考え方が一般的でした。しかし、近年では**「必要な造壁性を確保しつつ、可能な限り低粘度で管理する」**という手法が標準になりつつあります。このパラダイムシフトの背景には、構造物の品質要求の厳格化があります。
参考)https://www.nikkenren.com/sougou/10thaniv/pdf/07-05-10.pdf
高粘度の安定液は、確かに孔壁に対して強力な保護膜(マッドケーキ)を形成し、地下水圧に対抗する力を持っています。しかし、過度に粘度が高いと、コンクリート打設時に安定液が鉄筋籠に絡みついたり、コンクリートと置換されずに残留したりするリスクが高まります。これを防ぐために、現在の管理基準では、マッドケーキを薄く強靭に形成できる性質を持たせつつ、液自体の流動性は高く保つ(低粘度)という、一見矛盾する性能が求められています。
具体的には、マッハファンネル粘度で18秒~25秒程度(アースドリル工法の場合)の低粘度領域での管理が推奨されるケースが増えています。この低粘度管理を実現するためには、単に水を加えて希釈するのではなく、良質なベントナイトを使用し、分散剤を適切に配合することで、粒子を微細に分散させる技術が必要です。
参考)https://www.nishimatsu.co.jp/solution/report/pdf/vol32/g032_27.pdf
孔壁保護のメカニズムを正しく理解することも重要です。
現場管理者は、「低粘度=崩壊の危険」という単純な図式ではなく、「低粘度=高度な品質管理が必要」と認識を改める必要があります。特に砂礫層などの崩壊しやすい地盤では、CMC(カルボキシメチルセルロース)などの増粘剤に頼りがちですが、まずは基本となるベントナイトの品質と配合バランスを見直すことが先決です。
日本建設業連合会:場所打ちコンクリート杭の品質管理のポイント(安定液の機能と管理基準について詳述されています)
「スライム」とは、掘削によって発生した土砂や、安定液中に浮遊していた土粒子が沈降して孔底に溜まったものです。このスライムがコンクリート打設前に完全に除去されていないと、杭の先端支持力が発揮されず、建物の不同沈下の原因となる重大な欠陥を引き起こします。ここで、安定液の低粘度化が決定的な役割を果たします。
スライム処理の効率は、安定液の粘性に大きく依存します。物理学の「ストークスの式」によれば、粒子が液体中を沈降する速度は、液体の粘度に反比例します。つまり、安定液の粘度が高すぎると、微細な土砂がいつまでも液中に漂い続け、底に沈んできません。一見、スライムがないように見えても、コンクリート打設までの待機時間にゆっくりと沈降し、打設直前に厚いスライム層を形成してしまうのです。
参考)ConCom
低粘度で管理された安定液では、以下のようなメリットが生まれます。
現場でのスライム処理フローにおいては、「良液置換」という工程が重要になります。これは、スライム処理の最終段階で、孔内の汚れた安定液を新鮮な(あるいは再生処理された)低粘度・低比重の安定液に入れ替える作業です。この際、粘度が高いと置換に時間がかかり、工期を圧迫します。低粘度であれば、短時間で効果的に液を入れ替えることができ、結果として杭先端の品質保証につながるのです。
| 項目 | 高粘度安定液 | 低粘度安定液(推奨) |
|---|---|---|
| スライム沈降 | 遅い(浮遊し続ける) | 速い(処理しやすい) |
| ポンプ効率 | 悪い(詰まりやすい) | 良い(スムーズに排出) |
| 砂分除去 | 困難 | 容易 |
| 品質リスク | 支持力低下の懸念 | 品質の安定化 |
西松建設技報:アースドリル杭による大深度場所打ちコンクリート杭の施工報告(スライム処理と粘度管理の実例データ)
アースドリル工法で最も懸念される品質トラブルの一つが、杭周面摩擦力の低下です。これは、コンクリートと鉄筋、あるいはコンクリートと地盤の間に、安定液の成分やスライムが挟まることで発生します。この問題に対しても、低粘度管理は極めて有効な解決策となります。
コンクリートはトレミー管を通じて孔底から打ち込まれ、安定液を押し上げながら充填されます。このとき、安定液の粘度が高すぎると、コンクリートと安定液の界面が乱れやすくなります。これを「チャンネリング現象」と呼び、コンクリートが安定液の中に指を突っ込むように不均一に上昇してしまい、周囲に安定液が取り残される原因となります。
また、鉄筋籠への「泥膜(マッドフィルム)」の付着も深刻な問題です。高粘度のベントナイト液は、鉄筋の表面に厚い膜を作ります。この膜が乾燥したり、厚すぎたりすると、コンクリートと鉄筋の付着を阻害します。鉄筋コンクリート構造において、付着力は強度の根幹です。安定液を低粘度・低固形分(Low Solid)に保つことで、鉄筋への付着物を最小限に抑え、コンクリートの握持力を確保することができます。
参考)https://www.jreast.co.jp/development/tech/pdf_27/Tech-27-51-56.pdf
さらに、コンクリートの回り込み(充填性)についても考慮が必要です。
専門的な視点では、「コンクリート置換性」という指標で語られます。置換性が良いということは、コンクリートが安定液をきれいに押し出し、置き換わることを意味します。実験によれば、ファンネル粘度が低いほど、この置換率は100%に近づくことが実証されています。逆に、粘度が50秒を超えるようなドロドロの泥水では、置換率は著しく低下し、杭の断面欠損(くびれや空洞)を引き起こす可能性が高まります。
したがって、コンクリート打設直前の安定液(特に孔底付近)は、徹底して低粘度化・低比重化を行うことが、構造体としての信頼性を担保する上で不可欠なのです。
大林組技術研究所報:場所打ち杭の安定液孔内比重測定方法(コンクリート置換と安定液品質の関係性について)
では、実際の現場でどのようにして「孔壁を守る」ことと「低粘度」を両立させる配合を行えばよいのでしょうか。ここでは、具体的な配合と調整のテクニックについて深掘りします。安定液の管理は、生き物を扱うような繊細さが求められます。地盤は刻一刻と変化するため、マニュアル通りの一定配合では対応しきれないからです。
基本となるのは、良質なベントナイトの使用ですが、低粘度管理の鍵を握るのは「分散剤」と「ポリマー」の活用です。
現場配合の手順例(低粘度指向):
特に注意すべきは、セメント汚染です。既製杭の充填や、隣接する改良体からのセメント流入によりpHが上昇し、安定液が急激に増粘・ゲル化することがあります。この場合、重炭酸ソーダを用いてpHを中和し、粘度を正常範囲に戻す処置が必要です。現場では、定期的にマッハファンネルとpH試験紙を用いた測定を行い、常に「基準値内(例:18-25秒)」に収まっているかを監視する体制が不可欠です。
土木学会:自然泥水条件のアースドリル杭試験施工(CMCを主体としたポリマー安定液の配合詳細)
最後に、技術的な品質面だけでなく、コストパフォーマンスと環境配慮という独自視点から低粘度管理のメリットを解説します。建設業界において、産業廃棄物の処理コスト高騰は深刻な課題であり、安定液の管理方針はこのコストに直結します。
従来の高粘度・高濃度ベントナイト泥水は、施工終了後の排泥処理において大量の産業廃棄物(汚泥)となります。粘度が高いということは、それだけ多くの固形分(ベントナイト粉末や取り込まれた土砂)を含んでいることを意味し、脱水処理も困難で、処分費が嵩みます。また、産業廃棄物としての体積も大きくなりがちです。
参考)https://waseda.repo.nii.ac.jp/record/41327/files/Shinsa-7817.pdf
一方、低粘度・低固形分(Low Solid)で運用された安定液は、以下の経済的メリットを生み出します。
また、最近注目されている「ポリマー安定液」は、材料単価こそベントナイトより高価ですが、使用量が極めて少なく(添加率0.05%~0.1%程度)、在庫スペースの削減や運搬コストの低減も含めると、トータルでは経済的になるケースが増えています。ポリマー系は生分解性を持つものもあり、環境負荷低減(SDGs対応)の観点からも、大手ゼネコンを中心に採用が進んでいます。
「低粘度は品質のため」だけでなく、「低粘度は利益のため」でもあるのです。現場代理人や工事担当者は、単なる材料費の比較だけでなく、産廃処分費や工期短縮効果を含めた全体最適の視点で、低粘度安定液の導入を検討すべき段階に来ています。
早稲田大学リポジトリ:安定液の管理手法と産廃処分量の低減及びコスト改善効果(博士論文審査報告書)