

建築業従事者にとって、シリカは二面性を持つ物質です。コンクリートやモルタルの切断・研磨作業で発生する結晶質シリカ粉塵は、作業員の健康に深刻な影響を及ぼす一方、適切な形で摂取される水溶性シリカは人体に必要なミネラルとして機能します。建設現場では特に、粉塵として吸入する結晶質シリカへの曝露管理が重要な課題となっています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4938278/
シリカ(二酸化ケイ素)は地球の地殻に酸素に次いで豊富に存在する元素であり、建築材料の主要成分です。建設業では砂岩、コンクリート、モルタル、タイルなどシリカを含む素材を日常的に扱いますが、これらの切断や研磨作業時に発生する微細な粉塵が、作業員の呼吸器系に取り込まれることで健康被害が生じます。世界的に見ても、人工石を扱う石工の間で急速に珪肺症が増加しており、オーストラリアでは石工の4人に1人が珪肺症にかかっていることが判明し、2023年12月に人工石の使用禁止が発表されました。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3546016/
建築現場におけるシリカ粉塵対策は労働安全衛生法により義務付けられており、作業環境測定や適切な呼吸用保護具の選定が求められています。一方で、食品や飲料水から摂取する水溶性のシリカ(ケイ素)は体内でコラーゲンの生成を助け、骨や血管、皮膚などの健康維持に寄与することが研究で示されています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3671293/
珪肺症は結晶質シリカを含む粉塵を長期間吸入することで発症する職業性肺疾患です。コンクリート粉塵に多く含まれるシリカが肺に蓄積されると、炎症や線維化を引き起こし、肺組織が徐々に硬化していきます。この線維化は不可逆的であり、一度発症すると完治が困難なため、初期の予防が極めて重要です。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3168170/
結晶質シリカの粒子が肺胞に到達すると、マクロファージと呼ばれる免疫細胞がこれを異物として認識し取り込もうとします。しかし結晶質シリカの表面にある「ほぼ自由なシラノール基」がマクロファージを損傷させ、細胞死を引き起こします。損傷したマクロファージから放出される炎症性物質が周囲の組織に慢性的な炎症を誘発し、やがて肺組織の線維化へと進行します。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10796170/
人工石を扱う作業者に見られる急性珪肺症は、従来の珪肺症よりも進行が速いことが特徴です。医師らの報告によると、人工石の板が原因の珪肺症は、鉱業や建設業など他の産業で珪肺症に罹患した労働者よりも、シリカへの曝露期間が短く、病気の進行が早く、死亡率が高いとされています。人工石は天然石よりもはるかに高いシリカ含有量(通常90%以上)を持つため、短期間の曝露でも重篤な症状を引き起こす可能性があります。
参考)https://joshrc.net/archives/17297
国際がん研究機関(IARC)は結晶質シリカを「ヒトに対して発がん性(グループ1)」として分類しており、肺がんのリスクが曝露量に応じて上昇することが確認されています。100μg/m³以下での長期曝露によってもリスクが増加し、珪肺症がなかったとしても肺がんとの関連が認められています。さらに、シリカ曝露は免疫システムが自身の組織を攻撃しはじめる自己免疫疾患や慢性閉塞性肺疾患(COPD)、結核などの感染症リスクも高めることが知られています。
参考)https://www.msdmanuals.com/ja-jp/home/07-%E8%82%BA%E3%81%A8%E6%B0%97%E9%81%93%E3%81%AE%E7%97%85%E6%B0%97/%E7%92%B0%E5%A2%83%E6%80%A7%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E8%81%B7%E6%A5%AD%E6%80%A7%E8%82%BA%E7%96%BE%E6%82%A3/%E7%8F%AA%E8%82%BA%E7%97%87
珪肺症の詳細な医学的説明と症状についてはMSDマニュアル家庭版を参照
珪肺症の初期段階では自覚症状がほとんどないことが多く、これが早期発見を困難にしている要因です。やがて咳や痰の増加、階段を上る際の息切れといった症状が現れ始めますが、この時点ですでに肺の線維化が進行していることがあります。病状がさらに進行すると、安静時でも呼吸困難を感じるようになり、日常生活に大きな支障をきたします。
参考)https://kcmc.hosp.go.jp/shinryo/jinhai.html
早期発見のためには定期的な健康診断が不可欠です。診察時には職業歴や粉塵作業歴、職場環境などの詳細な聞き取りが行われます。珪肺症が疑われる場合、胸部X線検査や胸部CT検査で肺に線維化を始めとする様々な陰影があるかを確認します。珪肺では上肺野(鎖骨と第2肋骨の間の肺の部位)を中心に小さな結節状の陰影が見られ、一部は癒合して大きな陰影を作ることがあります。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11984649/
スパイロメトリーと呼ばれる呼吸機能検査では、肺活量など呼吸機能の障害を評価します。また、血液検査では炎症の状態を確認し、血液ガス分析によって血液中の酸素濃度を評価します。これらの検査結果を総合的に判断し、職歴と合わせて珪肺症の診断が行われます。
参考)https://kokyukinaika-tokyo.com/741/
建設業では労働安全衛生法に基づき、結晶質シリカを取り扱う作業に従事する労働者に対して、定期的な健康診断の実施が義務付けられています。事業者は作業記録を保存し、労働者の曝露状況を適切に管理する必要があります。カリフォルニア州では2023年9月に「強化された施行」プログラムが導入され、珪肺症の早期発見と予防に向けた取り組みが進められています。
参考)https://www.mhlw.go.jp/content/11201250/001230930.pdf
結晶質シリカの物性と毒性の関係についての詳細は労働安全衛生総合研究所の資料を参照
建築現場におけるシリカ粉塵対策の基本は、適切な防塵マスクの選定と正しい使用です。防塵マスクは国家検定に合格したものを使用することが労働安全衛生法で義務付けられており、作業環境のリスクレベルに応じて適切な規格のマスクを選ぶ必要があります。
参考)https://www.askul.co.jp/f/special/product_column/dustmask/
防塵マスクは大きく分けて、フィルターを交換できる「取替式(R)」と「使い捨て式(D)」の2種類があります。粒子の捕集効率によって区分1(80.0%以上)、区分2(95.0%以上)、区分3(99.9%以上)の3つに分類され、さらに固体粒子用(S)と固体・液体粒子用(L)に分かれます。結晶質シリカ粉塵への対策としては、少なくとも区分2(DS2、RS2)以上の防塵マスクの使用が推奨されています。
参考)http://www.kabu-daito.co.jp/netweb/office-04.htm
マスクの選択には「要求防護係数」の算定が重要です。これは有害物質の環境濃度がばく露限界濃度に対して何倍かを示す指標で、作業環境中のシリカ濃度を測定し、許容ばく露限界値(8時間平均で50μg/m³)と比較して適切な防護係数を持つマスクを選定します。吸入性結晶質シリカへの曝露が想定される作業では、指定防護係数が4~10以上の防塵マスクを選定する必要があります。
参考)https://www.jawe.or.jp/training/docs/2207_us-osha_silica.pdf
防塵マスクの効果を最大限に発揮するには、正しい装着が不可欠です。顔とマスクの密着性を確認する「フィットチェック」を必ず行い、隙間がないことを確認します。フィットチェックの方法としては、フィットチェッカーを使用するか、手のひらでマスクの吸気口を塞いでマスク内が陰圧になることを確認します。マスクには全面形(顔全体を覆う)、半面形(鼻と口を覆う)、さらには電動ファン付きタイプなどがあり、作業内容や環境に応じて最適なものを選びます。
建設現場では「STOP原則」に基づく包括的な粉塵対策が推奨されています。これはS(Substitution:代替方法)、T(Technological:技術的対策)、O(Organizational:組織的対策)、P(Personal Protection:個人用防護)の頭文字を取ったもので、個人用保護具は最後の手段として位置づけられています。まず粉塵の発生を抑える湿式作業や集塵装置の使用などの工学的対策を優先し、それでも残る曝露リスクに対して適切な防塵マスクを使用することが重要です。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7014628/
防塵マスクの選び方と着用方法の詳細ガイドはアスクルの特集ページを参照
建築現場でのシリカ粉塵曝露を低減するには、発生源対策が最も効果的です。コンクリートカッターやグラインダーなどの電動工具を使用する際には、湿式作業法を採用することで粉塵の発生を大幅に抑制できます。水を噴霧しながら切断作業を行うことで、粉塵が空気中に飛散する前に水で捕捉され、作業環境中のシリカ濃度を低く保つことができます。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7388242/
局所排気装置の設置も重要な工学的対策です。溶接、研磨、その他多くの用途で使用される局所排気装置は、粉塵が発生する場所の近くで吸引し、作業員が吸入する前に除去する非常に効果的な方法です。ヒルティなどの工具メーカーは、集塵機能を内蔵した電動工具を提供しており、これらを使用することで粉塵の飛散を最小限に抑えることができます。
参考)https://multimedia.3m.com/mws/media/2245654O/psd-ia-hazard-awareness-bulletin-crystalline-silica-jp.pdf
作業環境の測定と管理も欠かせません。英国の健康に有害な物質の管理(COSHH)規制では、吸入性結晶質シリカ粉塵の曝露限界を8時間の作業時間の平均で0.1mg/立方メートルと定義しています。日本でも労働安全衛生法により、作業環境測定の実施が義務付けられており、測定結果に基づいて適切な管理区分を決定し、必要な対策を講じる必要があります。
参考)https://www.nishieikai.or.jp/kankyo-sokutei/other/silica.html
組織的な対策として、作業計画の見直しも有効です。粉塵が発生する作業の時間を短縮したり、作業員のローテーションによって個々の曝露量を減らしたりすることができます。また、作業場所の換気を十分に行い、粉塵が滞留しないようにすることも重要です。解体工事では、散水や防塵シートの設置により、周辺環境への粉塵飛散を防止する対策も求められています。
参考)https://www.eco-j.co.jp/blog/1049.html/
化学物質管理者および保護具着用管理責任者を選任し、リスクアセスメントの結果を労働者に周知することも法令で定められています。事業者は、どのような管理対策が必要かを把握するために、ばく露限界値と比較したばく露レベルの判定を含むリスクアセスメントを実施する必要があります。また、結晶質シリカを含む製品を取り扱う際には、安全データシート(SDS)を確認し、適切な取扱方法を労働者に教育することが重要です。
参考)https://jsite.mhlw.go.jp/tokyo-roudoukyoku/content/contents/001985986.pdf
解体工事における防塵対策の実施方法についての詳細記事を参照
建築業従事者にとって、シリカに関する正確な知識を持つことは健康管理の観点から極めて重要です。粉塵として吸入する結晶質シリカは珪肺症や肺がんなどの深刻な健康被害をもたらしますが、一方で食品や飲料水から摂取する水溶性のシリカ(ケイ素)は人体に必要なミネラルとして機能します。この二面性を理解することが、適切なリスク管理と健康維持につながります。
参考)https://beauty.hotpepper.jp/kr/slnH000559181/blog/bidA063821418.html
水溶性シリカは骨、血管、皮膚、毛髪、歯、爪などに含まれ、人体の生命維持に関与するミネラルの一つです。特に骨の健康において、シリカはコラーゲン生成を促進し、カルシウムと結びつくことで骨密度を高める働きがあることが研究で示されています。閉経前後の女性を対象としたフラミンガム研究では、シリカの摂取量が多い女性ほど股関節の骨密度が高いことが報告されています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC8283247/
シリカは体内でコラーゲン、エラスチン、ヒアルロン酸といった結合組織の主要成分を結びつける役割を果たします。動物実験では、シリカがコラーゲンとプロテオグリカンの間の架橋形成に関与し、骨の強度や機械的特性に有益な影響を与えることが確認されています。また、シリカには抗酸化作用があり、活性酸素を除去することで骨の健康維持に寄与する可能性も指摘されています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6635139/
ただし、シリカの美容や健康増進に対する具体的な有効性については、必ずしも科学的に明らかになっていません。2022年6月には、ケイ素に関連して合理的な根拠なくさまざまな効果を広告したとして、消費者庁により景品表示法に係る措置命令が行われた事例もあります。現時点では一日当たりに摂取が必要なシリカの量は明確に定められておらず、厚生労働省の「日本人の食事摂取基準2020年版」にも必須ミネラルとしての掲載はありません。
参考)https://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20221207_2.html
日常の食事や飲料水、水道水から体が必要とするシリカは十分に摂取できると考えられています。玄米、大豆、青のり、海藻類などにシリカを構成するケイ素が多く含まれており、バランスの良い食事を摂ることで適切な量のシリカを摂取することができます。成人1人あたりの消費量は10-40mg/日といわれており、通常の食生活ではシリカが不足することはないとされています。
参考)https://www.miyamotocl.com/blog_nutrition/silica/
特に妊娠中・授乳中の方は、シリカの多量摂取を避けた方が良いとされています。建築業従事者は職業上、結晶質シリカ粉塵への曝露リスクが高いため、作業中の適切な保護対策に注力し、食事からの自然なシリカ摂取で十分であることを理解しておくことが重要です。過度にシリカサプリメントなどに頼るのではなく、栄養バランスの良い食事と適切な粉塵対策を心がけることが、建築業従事者の健康管理の基本となります。
参考)https://brand.cleansui.com/journal/4129.html
国民生活センターによるシリカ関連商品の調査報告を参照