

水防法の「ハザードマップ義務」は、まず市町村側の責務として理解するのが近道です。国交省の手引きでは、水防法第15条第3項に基づき、浸水想定区域を含む市町村の長が、市町村地域防災計画で定めた避難の方法などを住民等に周知させるため「印刷物の配布その他の必要な措置」を講じる必要がある旨が明示されています。これが、いわゆる「水害ハザードマップ(洪水・内水・高潮・津波)」が自治体から公表・配布される制度的な根っこです。
建築従事者(設計、施工、開発、PM、工務店、建築営業)がここを押さえるメリットは2つあります。1つ目は、施主や発注者から「この地域の水害リスクは?ハザードマップは義務で作っているの?」と問われたとき、制度の骨格(市町村が周知のために作成・改定・公表する)を端的に説明できること。2つ目は、設計条件の確認を「法的な周知情報」と「設計上の検討に耐える詳細情報」に分けて会話できることです。手引きでも、水害ハザードマップは住民避難のためのツールであり、より詳細な浸水情報が必要な検討では「浸水想定区域図」の活用が望ましい、という整理が示されています。
さらに重要なのは、ハザードマップは“災害イメージの固定化”を招きやすい点です。手引きには「ハザードマップに表示されたとおりの被害となる」「早期の立退き避難が必要な区域以外は安全」といった誤解を避ける注意があり、浸水想定区域外でも「避難する必要がない」という誤認を与えない工夫が必要だと述べています。建築の説明では「区域外=ゼロリスク」ではなく「想定の前提・限界を共有する」姿勢が、トラブル回避に直結します。
参考リンク(制度の根拠・作成目的、浸水想定区域図との使い分け、誤認防止の注意点がまとまっています)
国土交通省「水害ハザードマップ作成の手引き」(令和3年12月一部改定)
「水防法ハザードマップ」と「洪水浸水想定区域図(浸水想定区域図)」は似て見えますが、現場での使いどころが違います。国交省の手引きでは、水害ハザードマップは住民避難に活用されることを目的とし、住民目線で作成されるべきものとされています。一方で、土地利用の検討など詳細な浸水情報が必要な場合は、より詳細に浸水情報が明示された「浸水想定区域図」を主に活用するのが望ましい、という線引きが示されています。
建築実務に落とすと、次のように整理すると事故が減ります。
ここで“意外と見落とされがち”なのが、ハザードマップが「冊子形式」「地図面+情報・学習編」として構成されることがある点です。手引きでは、災害前に学習する場面と、災害時に緊急確認する場面の両方を想定し、地図面と情報・学習編で構成することが示されています。建築側が施主へ説明するときも、地図面(色の濃淡)だけを指して終わると、避難情報の受け取り方(プッシュ型・プル型)や、避難判断の原則が抜け落ちやすく、説明の品質が下がります。
「義務」という言葉が検索でよく出てくるのは、不動産取引(売買・賃貸)の重要事項説明でハザードマップ提示が求められる実務があるためです。例えば大阪市は、宅地建物取引業法施行規則の改正(令和2年8月28日施行)により、重要事項説明時に「水防法に基づき作成された水害(洪水、雨水出水、高潮)ハザードマップにおける取引対象物件の所在地について説明することが義務化」された、と自治体ページで明記しています。建築従事者自身が宅建業務を行わなくても、施主が土地購入や賃貸を伴う計画では、この説明がプロジェクトに確実に入ってきます。
実務で特に重要なのは、「どの資料を添付・提示すべきか」を誤らないことです。大阪市は、地図システム(住所検索できる地図)の浸水想定図と水害ハザードマップが同じデータを使っていても、その地図システムは“水害ハザードマップではない”ため、重要事項説明の添付は水害ハザードマップを添付し、地図システムは補足資料として活用してほしい、とQ&Aで整理しています。つまり、データが同じでも「法令上の位置づけが違う」資料が混在するため、成果物のタイトルや体裁(自治体が公表する“ハザードマップ”)まで含めて確認が必要です。
建築側が関与できる、現場で効くチェック項目は以下です(入れ子なし)。
参考リンク(重要事項説明での義務化、資料の扱い分け、FAQが具体的です)
大阪市「宅地建物取引業者の方へ(水防法に基づくハザードマップの作成状況等について)」
検索上位の解説でも混乱しやすいのが「内水(雨水出水)」の扱いです。国交省の手引きでは、内水浸水想定区域は「雨水出水浸水想定区域」として水防法第14条の2に規定される、と用語定義で整理されています。一方で自治体の公表物には、“水防法に基づくもの”と“水防法に基づかないが参考として載せているもの”が同じ冊子内に同居するケースがあります。
大阪市のページはこの点をはっきり書いており、水害ハザードマップに掲載している「内水氾濫した場合」の浸水想定区域図は水防法に基づき作成されたものではないが、大雨時の浸水リスク理解のため、想定最大規模の降雨を想定して作成しているので参考として併せて説明してほしい、と記載しています。ここは建築従事者にとって“地味に効く”論点で、説明相手(施主、テナント、投資家、社内審査)によって、「義務の対象」と「リスク把握のための参考情報」を切り分けて提示できるかで、信頼性が変わります。
実務上は次の運用が安全です。
建築従事者向けに、検索上位の“義務化解説”だけでは出てきにくい実務論点を挙げるなら、「早期の立退き避難が必要な区域」をどう設計・説明に組み込むかです。国交省の手引きは、屋内安全確保(垂直避難)では命を守りきれない区域が存在するため、市町村が「早期の立退き避難が必要な区域」を設定するよう記載した、と改定ポイントで述べています。さらに用語定義でも、家屋倒壊等氾濫想定区域や浸水深が深い区域など、生命・身体に直接影響を及ぼす可能性がある区域として、市町村が地域特性に応じて設定するものと定義しています。
この概念は、建築計画の“説明責任”と相性が良い一方、使い方を誤ると逆効果になります。よくある失敗は、ハザードマップの色(浸水深)だけで「上階があるから大丈夫」と説明してしまうことです。手引きが指摘する通り、屋内安全確保では守りきれない区域がある前提に立てば、設計の会話は「逃げない前提」から「早めに逃げる前提」へ変わります。例えば、福祉施設・寮・宿泊施設・地下を使う用途では、避難判断の早期化(警戒レベル以前の行動開始)を運用計画に入れることが、実質的な安全性を押し上げます。
建築側が“独自の付加価値”として提案しやすいのは、ハザードマップの周知情報を「建物の運用」に翻訳することです。
このセクションのポイントは、「水防法ハザードマップ義務」を“守りのコンプライアンス”で終わらせず、建築の現場で「避難の実効性」に変換して提示することです。ハザードマップは地図ではなく、最終的には人の行動を変えるための道具だ、と手引きに明確に書かれているため、建築従事者が関与できる余地は大きいと言えます。