

熱処理後の冷却を急いだだけで、除去したはずの残留応力が再発生し構造物の強度が下がります。
建築鉄骨や橋梁などの鋼構造物では、溶接を行う際に必ず残留応力が発生します。溶接の熱で局所的に加熱・溶融された鋼材は、冷却過程で周辺部材に拘束されながら収縮するため、内部に引張・圧縮の力が閉じ込められた状態になります。これが「残留応力」です。
残留応力は、外から力をかけていないにもかかわらず材料内部に存在し続けます。放置した場合、疲労強度の低下、変形・割れの発生、応力腐食割れといった深刻なトラブルにつながります。溶接部付近には降伏点に達するほどの高い残留応力が発生することも珍しくありません。
こうした残留応力を除去・低減するために施す熱処理が、PWHT(Post Weld Heat Treatment:溶接後熱処理)、または応力除去焼鈍(SR処理)です。つまり同じ処理が現場によって呼び名を変えて使われているわけです。
PWHTの基本的なメカニズムは、「高温下では材料の降伏強度が下がる」という原理を利用したものです。鋼材を550〜650℃程度まで加熱すると、残留応力によって引張・圧縮の力が加わっている箇所でクリープ変形(高温下でのゆっくりとした塑性変形)が起き、それによって内部に蓄積されていたひずみが解放されます。結果として、残留応力は大幅に低減されます。
PWHT・応力除去焼鈍の主な効果は以下のとおりです。
これらの効果は独立しているものではなく、相互に関連しています。PWHTを施すことで、構造物全体の信頼性を底上げできます。建築鉄骨の施工において、PWHT・SR処理の正しい知識は安全管理の基礎となる重要事項です。
参考リンク(PWHTのメカニズムと注意点を解説した溶接学会の公式Q&A)。
溶接後熱処理(PWHT)による溶接残留応力の低減機構と注意点 | 溶接情報センター
PWHTを実施する際、その条件は国内ではJIS Z 3700「溶接後熱処理方法」で規定されています。条件を守らなければ、せっかくの熱処理が効果を発揮しないどころか、かえって材料を傷めるリスクがあります。
JIS Z 3700では、後熱処理の温度と保持時間について母材の区分に応じた最低保持温度・最小保持時間が定められています。一般的な炭素鋼や低合金鋼の溶接部に対しては、550〜650℃の範囲で加熱・保持することが標準的です。
処理温度についての重要な原則があります。
温度が高いほど残留応力は解消しやすくなりますが、鋼材にもともと施されていた焼入れ・焼戻しの温度(元の焼戻し温度)を超えてしまうと、材料の強度と破壊靭性が低下してしまいます。このため、焼入れ・焼戻し鋼に対するPWHT温度は、元の焼戻し温度より約30℃低い温度を上限とするのが原則です。つまり、温度は「高ければ高いほど良い」ではありません。
保持時間については、板厚に応じた基準があります。一般的な目安として、板厚25mmごとに1時間の保持が基本とされる場合が多く、25mm以下であれば最低15〜30分程度の保持が必要です。保持時間が短すぎると、表面のみの応力が緩和され内部の残留応力が十分に除去されないままになります。
| 条件項目 | 目安・ポイント |
|---|---|
| 加熱温度(炭素鋼) | 550〜650℃(JIS Z 3700に基づく) |
| 保持時間の基本 | 板厚25mmごとに約1時間 |
| 昇温速度の目安 | 300℃以上では200℃/h以下を目安に管理 |
| 炉からの取出し温度 | 300℃以下に冷却してから取り出す |
| 冷却方法 | 炉内でゆっくり徐冷(炉冷)が基本 |
また、昇温・冷却の速度も重要な管理項目です。あとで詳しく述べますが、急激な昇温や急冷は新たな温度勾配による残留応力を生むため、特に厚肉部材や複雑形状の構造物では注意が必要です。
参考リンク(JIS Z 3700溶接後熱処理方法の規格内容)。
JIS Z 3700:2009 溶接後熱処理方法 | kikakurui.com
現場でよくある失敗パターンのひとつが、「熱処理は終わった、あとは早く冷やして工程を進めよう」という判断です。これは非常に危険です。
加熱・保持によって残留応力が緩和された状態でも、冷却工程を急ぐと表面と内部で冷却速度の差が生じます。表面は先に固まり収縮しようとしますが、内部はまだ高温で柔らかい状態です。この収縮差が新たな温度勾配を作り出し、除去したはずの残留応力が再び発生してしまいます。
この現象は、特に厚板や断面積の大きい部材で顕著に現れます。「見た目上は熱処理をきちんとやった」としても、冷却管理を誤れば結果として残留応力が残ります。
逆効果を防ぐために必要な冷却の考え方は以下のとおりです。
PWHTにおける冷却管理は、加熱温度と同等かそれ以上に重要なポイントです。建設現場での局部加熱(電気ヒーターや炎加熱)を用いた部分的なPWHTでは、炉設備とは異なり冷却速度のコントロールが難しくなります。断熱シートや保温材を活用して徐冷速度を確保することが現場施工の基本です。
参考リンク(アニール処理の失敗原因と冷却管理の重要性について)。
アニール処理とは?品質不良の原因と対策 | 現場改善ラボ
「熱処理さえすれば安心」という考え方は捨てる必要があります。実は、PWHTそのものが「SR割れ(応力除去焼鈍割れ・再熱割れ)」を引き起こすケースがあります。これが建築鉄骨に携わる現場担当者の中でも、まだ十分に知られていないリスクです。
SR割れとは、応力除去焼鈍の加熱・保持の過程において、溶接部の応力集中部(特に溶接止端部など)で粒界割れが発生する現象です。日本溶接学会の技術Q&Aでも「Cr-Mo鋼等では、溶接の止端等、応力集中部において溶接後熱処理後に割れを生じる(SR割れ)場合があり、注意が必要」と明記されています。
SR割れが発生しやすい条件は以下のとおりです。
SR割れを防ぐための対策として有効なのは、溶接後に止端部をグラインダーでなめらかに仕上げて応力集中を低減すること、また溶接部の外観検査・非破壊検査を熱処理の前に行い、欠陥を事前に除去しておくことです。
建築鉄骨においては高強度鋼(SM570クラス以上)や特殊鋼を使用するケースが増えており、こうした材料ではSR割れのリスクが一般的な構造鋼よりも高くなる場合があります。材質の確認と専門家への事前相談が重要です。
参考リンク(再熱割れ・SR割れの発生メカニズムと原因)。
再熱割れはなぜ起こるのですか | 溶接情報センター 接合・溶接技術Q&A
残留応力除去のための熱処理は、鋼材の種類によって最適条件が大きく異なります。「とりあえず600℃で保持すればOK」という一律の判断は通用しません。材質を正確に把握した上で条件を設定することが基本です。
炭素鋼・低合金鋼の場合
最も一般的なケースです。JIS Z 3700の規定に従い、550〜650℃での保持と炉冷が基本です。一般構造用鋼(SS400等)から低合金高張力鋼(SM490、SM570等)まで広く適用されます。
Cr-Mo鋼(クロムモリブデン鋼)の場合
高温・高圧配管や一部の建築特殊構造物に使用されます。SR割れのリスクが最も高い材質のひとつです。止端部の仕上げ処理と熱処理条件の精密管理が特に求められます。PWHTを繰り返すことで引き起こされるクリープ特性の変化にも注意が必要です。
これが最も注意を要するケースです。通常のCr-Mo鋼と同じ考え方でPWHTを施すと、材料が「鋭敏化」してしまい、かえって耐食性が著しく低下します。鋭敏化とは、加熱によって粒界にクロム炭化物が析出し、粒界周辺のクロム濃度が不足した状態になる現象です。
このため、オーステナイト系ステンレス鋼では通常の応力除去焼鈍によるPWHTは適用できないことが多く、溶接残留応力の低減にはショットピーニングや機械的振動応力除去法(VSR)など別のアプローチが選択されます。
| 材質 | 主な処理温度目安 | 特記事項 |
|---|---|---|
| 一般構造用鋼(SS400等) | 550〜630℃ | JIS Z 3700に準拠 |
| 低合金高張力鋼(SM490〜SM570) | 580〜650℃ | 元の焼戻し温度を超えないよう注意 |
| Cr-Mo鋼 | 650〜730℃ | SR割れリスクあり・止端仕上げが重要 |
| オーステナイト系SUS | PWHTは原則不適 | 鋭敏化リスク。別の応力除去手法を検討 |
材質ごとの適切な判断が難しい場合は、JIS Z 3700の附属書や溶接学会の技術資料を参照するか、熱処理専門業者への相談が確実です。
参考リンク(材質別の応力除去焼鈍の目的と条件の解説)。
応力除去焼鈍とは?目的と材質ごとの処理の違い | 熱処理・水素還元技術ナビ
建築現場では、炉全体での加熱が構造上困難なケースが多々あります。大型構造物をそのまま炉に入れられないことも珍しくありません。こうした状況への対応として、PWHTを補完・代替する手法がいくつか実用化されています。
これらは「PWHTをしなくていい」という代替ではありません。あくまで「炉熱処理が困難な場合の対応策」または「熱処理後に追加で行う補強措置」として位置づけてください。
局部加熱によるPWHT(現場施工型)
大型鋼構造物を解体せずに現場で熱処理を行う方法です。電気抵抗式ヒーターや炎加熱装置を溶接部周辺に巻き付け、局所的に加熱・保持します。加熱範囲や温度の均一性確保が難しく、温度管理には熱電対を用いた厳密なモニタリングが不可欠です。
ショットピーニング
小さな鋼球を高速で表面に打ち付けることで、表層部に圧縮残留応力を意図的に導入する方法です。引張残留応力を圧縮応力に転換し、疲労強度と応力腐食割れへの耐性を高めます。主に溶接止端部や応力集中部への後処理として有効で、仕上がり品質の向上にもつながります。
機械的振動応力除去法(VSR:Vibration Stress Relief)
構造物全体に振動を与え、内部の残留応力を均一化・低減する方法です。加熱を行わないため、熱処理による材質変化のリスクがなく、大型鋼構造物にも適用しやすいのが特徴です。近年、建設・橋梁分野でも注目されており、日本建設機械施工協会の技術資料でも取り上げられています。ただし、PWHTほど確実な残留応力除去効果は保証されないため、適用範囲を十分確認した上での使用が前提です。
参考リンク(機械的振動応力除去技術の概要と活用場面)。
溶接後の残留応力を低減する機械的振動応力除去技術 | newji
どの手法を選択するにしても、「何のために行うか(目的)」「対象材質と板厚」「要求される残留応力低減レベル」の3点を明確にした上で、施工計画書や検査計画と合わせて決定することが重要です。それが現場での品質管理の起点になります。