

ナノインデンテーションで測った硬さをビッカース硬さの代わりにそのまま使うと、実は全材料で値が10〜20%高めに出るため、誤った材料選定につながります。
ナノインデンテーション法は、ダイヤモンド製の微小圧子を材料表面に押し込み、そのときの「荷重(力)」と「変位(押込み深さ)」をナノメートル精度で連続計測することで、材料の機械的特性を評価する試験法です。圧痕の「大きさを顕微鏡で目視計測する」従来のビッカース試験とは根本的に異なり、計算だけで硬さを算出できる点が大きな特徴です。
測定の中核となるのは「荷重-変位曲線(P-hカーブ)」です。圧子が材料に接触してから最大荷重まで押し込む「負荷過程」と、荷重を抜いていく「除荷過程」の2段階でデータが取得されます。除荷曲線の傾きから「接触剛性(スチフネスS)」が計算され、そこから接触深さ hc → 接触投影面積 A → インデンテーション硬さ HIT の順に算出されます。式で表すと以下のようになります。
$$H_{IT} = \frac{P_{max}}{A}$$
ここで Pmax は最大荷重(mN単位)、A は接触投影面積(mm²)です。この硬さはGPa単位で表現されるため、建築の現場でなじみ深いビッカース硬さ(HV、kgf/mm²単位)とは単位系が異なります。これは混乱の原因になりやすいポイントです。
また同時に材料のヤング率(弾性率)も算出できます。ヤング率は「力を加えたときの変形のしにくさ」を表す指標で、建築鋼材の設計では非常に重要な値です。鋼材のヤング率はおよそ206GPa、コンクリートは20〜30GPa程度ですが、ナノインデンテーションならミリメートル以下の微小領域でこれを測定できます。これが原則です。
この計測が国際規格ISO14577として標準化されたのは2002年のことで、元はDr. Warren OliverとProf. George Pharrが1992年の論文で提唱した手法(通称:Oliver-Pharr法)に基づいています。現在では薄膜・コーティングから天然岩石まで、幅広い材料の評価に応用されています。
東陽テクニカ:ナノインデンターの基本原理(ISO14577準拠の硬度・ヤング率計算を図解)
建築業務に携わっていると、材料の「硬さ」をビッカース硬さ(HV)という単位で把握することが多いはずです。ナノインデンテーションで得られる換算ビッカース硬さ(HVc)は数値が近いため同一視されがちですが、実は全材料でHVcの方が10〜20%高く出る傾向があります。
新潟県工業技術総合研究所による検証研究では、鉄鋼材料6種・銅合金6種を対象に、試験荷重100mN・10mN・1mNの3条件でナノインデンテーション試験を実施し、ビッカース試験との相関を比較しました。結果として、すべての試験荷重条件においてHVcはHVより大きな値を示しました。試験荷重が小さくなるほど換算値のバラつきも拡大し、荷重1mNではHV 185.1の鋼材がHVc 380.0という約2倍の値を示すケースも確認されています。
この乖離が生じる主な原因は3つあります。第1に圧子形状の違いで、ナノインデンテーションは三角錐のバーコビッチ圧子を使い、ビッカース試験は四角錘圧子を使うため、接触面積の計算式が異なります。第2に面積定義の違いで、ビッカース硬さは「圧痕の表面積」を使うのに対し、ナノインデンテーションは「接触投影面積(断面積)」を使います。第3に押込み深さの問題で、深さが0.2μm未満のナノレンジ領域では圧子先端の微小な丸みや稜線の影響を強く受け、測定誤差が増大します。
つまりHVcをHVの代替として使うのは好ましくないということです。現場で材料選定の根拠としてナノインデンテーション結果を活用する場合は、材料の種類(鉄鋼系か非鉄金属系かなど)に応じた「補正係数を組み込んだ近似式」を使用する必要があります。荷重10mN以上では補正後に高い精度でビッカース硬さの目安が得られることが確認されています。
| 試験体 | ビッカース硬さ HV | 換算HVc(100mN) | 換算HVc(1mN) |
|--------|----------------|----------------|----------------|
| 鉄鋼 S1(高硬度) | 902.9 | 1007.1 | 1209.6 |
| 鉄鋼 S6(低硬度) | 185.1 | 228.3 | 380.0 |
| 銅合金 C5 | 43.5 | 55.7 | 145.1 |
小さい荷重ほどズレが大きくなる傾向が一目でわかります。建築鋼材の品質管理でナノインデンテーション結果を活用する際は、荷重条件と材料種別を必ず確認する必要があります。
新潟県工業技術総合研究所:ナノインデンテーション試験による換算ビッカース硬さの妥当性に関する研究(PDF)
建築業に従事している方の多くは、コンクリートの強度は配合設計(水セメント比など)で決まると考えています。しかし実は、圧縮強度180N/mm²以上の「超高強度コンクリート」になると、骨材(砂利・砂)自体の硬さが強度の上限を決定的に左右します。骨材が条件を満たさなければ、どれほど優秀な配合でも180N/mm²は達成できないのです。
従来、骨材の硬さを微小硬度計で測定することは「骨材は不均質材料だから代表値が取れない」という理由で実施されてこなかった経緯があります。しかし近年の研究で、ナノインデンテーション試験において測定点の数と配置を適切に設定すれば、不均質な天然砕石でも信頼性の高い機械的特性値が得られることが証明されました。
具体的には次の2条件を満たすことが必要です。まず条件1として「各測定点の最近接測定点間距離が2.0mm以下」であること、次に条件2として「測定点の分布幅がx・y方向ともに3.0mm以上」あることです。砕石サンプルは1個につき9点以上(高精度を求めるなら50〜100点以上)を測定します。
評価の指標となるのは「単位損傷抵抗荷重(N/μm)」です。この値が1.0〜1.7N/μmの範囲に入る骨材原石が、超高強度コンクリート製造に適していると判定されます。実際に10種類以上の骨材原石を試験した結果、この基準を満たした原石A・B・G・Hを使ったコンクリートでは全配合で圧縮強度180N/mm²超を達成し、基準を満たさなかった原石ではいずれも未達でした。これは使えそうです。
骨材の「弾性係数」を重視する場合は、押込み弾性係数が50,000〜75,000N/mm²の範囲に入る骨材を選ぶという追加基準も活用できます。建築構造の設計でヤング係数が設計値通りに出ないリスクを事前に低減できるため、超高層建築や橋梁など高精度な性能設計が求められる構造物の骨材選定に有効です。
特許JP5693400B2:ナノインデンテーション試験による超高強度コンクリート用骨材の選定方法(J-PlatPat)
橋梁や大型鉄骨構造物の溶接部は、溶接の熱によって材料の組織が変化し、溶接熱影響部(HAZ:Heat Affected Zone)と呼ばれる局所的な硬さ変化が生じます。この領域の幅はおよそ数ミリメートルと非常に狭く、通常のビッカース硬さ試験(荷重9.8〜98N、圧痕サイズ数十〜数百μm)では解像度が不足して詳細な分布をとらえることが困難でした。
ナノインデンテーションを使えば、μN〜mNの微小荷重で数nm〜数μmの圧痕を形成し、溶接部の硬さを連続マッピングできます。これは橋梁のアンカーワイヤーのような疲労に敏感な構造物においても特に重要な評価手法として位置づけられています。硬さマッピングが基本です。
さらに建築鋼材の品質評価では、連続剛性測定法(CSM/CSR法)という応用技術が有効です。通常のISO14577準拠の測定が「1深さ点での硬度・ヤング率」しか取れないのに対して、CSM法では圧子を押し込みながら微小振動を重畳させることで、押込み深さに対する硬さプロファイル(深さ方向の連続データ)を取得できます。たとえば1μm厚の表面処理膜(防錆メッキや硬質クロム等)の硬さが、下地鋼材の影響を受けずに正確に評価できるのです。
ある事例では、CVDプロセスで製膜したDLC(ダイヤモンドライクカーボン)膜の硬度が約21GPa(換算ビッカース硬さ約1,990HV相当)、水素フリープロセスの膜では約68.6GPa(換算約6,490HV相当)という結果が得られています。この差は肉眼ではまったく判別できません。コーティングの見た目だけで品質を判断してしまうと、3倍以上の硬さの差を見逃すことになります。厳しいところですね。
高炉スラグ微粉末を混和したセメントペーストの研究でも、ナノインデンテーション法が各相(ポルトランダイト、CSH相など)の硬さを相別に測定する手法として活用されており、建築コンクリートの耐久性向上研究に役立てられています。
日鉄テクノロジー:ナノインデンタ―の原理と硬さ・ヤング率マッピング機能の解説
建築業に関わる材料でナノインデンテーションを実際に適用する際、用途ごとにいくつかの重要な測定条件があります。これらを知っておけば、依頼した試験データを正しく読み解き、現場判断に活用できます。
まず試料準備については、測定面の表面粗さを十分小さくすることが絶対条件です。押込み深さ h が算術平均粗さ Ra の20倍以上であることが求められており、これを満たさないと測定値が大きくばらつきます。たとえば押込み深さ0.1μm(100nm)を狙う場合、表面粗さ Ra は5nm以下に管理する必要があります。コンクリートや岩石系の試料は硬化後に切断・研磨(樹脂埋め込み→砥石カッター→自動研磨装置の順)してから測定します。これが条件です。
次に薄膜・コーティングの評価では「膜厚の10%以内の押込み深さ」というルールが基本です。これは押込みが深くなると下地(基材)の硬さの影響が生じるためで、この10%則を守らないと膜の硬さではなく基材との混合値が出てしまいます。たとえば膜厚1μmの防錆コーティングなら、押込み深さは100nm以下に設定する必要があります。なお近年の研究では、影響が生じるのは押込み深さの10倍以上の範囲とも報告されており、ISO14577ではさらに厳密な管理が推奨されています。
また測定環境の温度安定も重要です。ドリフト(荷重・変位の時間的なずれ)が生じると荷重変位曲線が変動し、硬さの計算精度が落ちます。通常は試験前に「ドリフト計測ステップ」を設け、1時間程度は恒温環境でサンプルを安定させてから測定を始めます。建設現場での採取サンプルを持ち込む際は、温度順応の時間を確保することが大切です。
以下に建築材料別の測定ポイントをまとめます。
| 対象材料 | 推奨荷重範囲 | 主な評価項目 | 注意事項 |
|---|---|---|---|
| コンクリート骨材(砕石) | 300〜5000mN | 単位損傷抵抗荷重、押込み弾性係数 | 測定点9箇所以上、配置条件を守る |
| 建築鋼材・溶接HAZ | 10〜100mN | 硬さ分布マッピング、ヤング率 | ビッカース換算時は補正係数を使用 |
| 防食塗膜・メッキ薄膜 | 0.01〜10mN | インデンテーション硬さ、弾性率 | 押込み深さ=膜厚の10%以内に制御 |
| セメントペースト(各相評価) | 1〜100mN | 相別硬さ、クリープ挙動 | 鏡面研磨必須、十分な測定点数を確保 |
試験を外部機関に依頼する際の費用感としては、福島県ハイテクプラザでの事例では使用料金6,900円/時間という情報もあり、測定点数や試料数に応じて総コストが変わります。試験依頼前に測定目的・材料種別・必要精度を明確にしておくことで、無駄な測定を省いてコストを抑えることができます。
ブルカージャパン:ナノインデンターの技術解説(ISO14577・CSM法・荷重変位曲線の読み方)
JTL:ナノインデンテーション(超微小押し込み硬さ試験)の受託試験サービス概要