

建築現場で日常的に扱われる「石膏(せっこう)」ですが、その正体である硫酸カルシウムの化学的性質を深く理解している現場監督や職人は意外に少ないかもしれません。硫酸カルシウムの化学式は、基本形として CaSO₄ と表記されます 。これは、カルシウムイオン(Ca²⁺)と硫酸イオン(SO₄²⁻)がイオン結合によって結びついた塩(えん)であることを示しています 。
参考)硫酸カルシウム - Wikipedia
この物質の最大の特徴は、非常に安定した結合を持ちながらも、水に対する挙動が特殊である点です。分子量は約136.14(無水物)であり、常温常圧では白色の固体として存在します 。水への溶解度は非常に低く、水100gに対して約0.2g程度しか溶けません。この「水に溶けにくいが、わずかに溶ける」という微妙な性質が、実は建築資材として、あるいは土壌改良材として使う上で極めて重要な意味を持っています 。
参考)硫酸カルシウム
また、硫酸カルシウムは酸やアルカリに対しても比較的安定しており、これが建材としての耐久性に寄与しています。しかし、濃硫酸や特定のアンモニウム塩の水溶液には錯体(さくたい)を形成して溶けやすくなるという化学的特性も持っています 。現場で酸洗いの工程などがある場合、石膏ボードや目地材への影響を考慮する必要があるのはこのためです。
さらに、天然には「石膏(二水石膏)」や「硬石膏(無水石膏)」という鉱物として産出されますが、現在の建築資材の多くは、化学工場や発電所の排煙脱硫装置から副産物として得られる「化学石膏」を利用しています 。天然石膏も化学石膏も、化学式上は同じ硫酸カルシウムの結晶であり、性能に大きな差はありませんが、不純物の混入度合いによって色が異なることがあります。
参考)石膏とは
Wikipedia: 硫酸カルシウムの基礎データと物理的性質について
建築実務において「硫酸カルシウム」を理解する上で最も重要なのが、「水和物(すいわぶつ)」という概念です。単に CaSO₄ と書いただけでは、現場で起こる硬化反応や吸水反応を説明できません。石膏には、水分子(H₂O)がどれだけ結合しているかによって、全く異なる3つの状態が存在します 。
参考)石膏と硫酸カルシウムの違いを徹底解説!知っておきたい使い分け…
建築現場での「石膏が固まる」という現象は、実は「乾燥して固まっている」のではありません。半水和物(焼石膏)の粉末に水を加えると、再び化学的に安定した二水和物に戻ろうとして結晶化し、その針状結晶が複雑に絡み合うことでカチカチにロックされるのです 。
このとき、反応熱(水和熱)が発生します。現場でパテやプラスターを練っているときに容器が温かくなるのは、この化学反応が急速に進んでいる証拠です 。逆に言えば、一度二水和物に戻って硬化した石膏(廃材など)を細かく砕いて水を加えても、もう化学反応は起きないため、固まることはありません。これがリサイクルを難しくしている要因の一つでもあります。
石膏と硫酸カルシウムの違い:水和状態による現場での使い分け解説
硫酸カルシウム(石膏)が建築資材の王様として君臨し続けている最大の理由は、その圧倒的な「防火性能」にあります。なぜ紙と石の粉でできたボードが火に強いのか、そのメカニズムを顧客に説明できるようにしておくことはプロとして重要です。
石膏ボードの芯材である硫酸カルシウム二水和物(CaSO₄・2H₂O)は、重量の約21%が「結晶水」で構成されています 。これは単に水で濡れているわけではなく、結晶構造の中に水分子が強固に閉じ込められている状態です。
火災が発生し、石膏ボードが高温にさらされると、次のようなプロセスで延焼を食い止めます:
この反応が続いている間、ボードの裏側の温度は水の沸点である100℃程度以上に上がりにくくなります。つまり、石膏ボードは「壁の中に貯水タンクを持っている」のと同じような効果を発揮しているのです 。これが、木造住宅であっても石膏ボードを適切に施工することで準耐火構造や耐火構造として認定される化学的な根拠です。
その他の用途としては、以下のようなものがあります:
これは建築従事者が最も注意しなければならない、法律と安全に関わる重大なトピックです。解体工事やリフォーム現場から排出される「廃石膏ボード」は、安易に一般の土砂や瓦礫と一緒に埋め立て処分をしてはいけません。過去に、安定型最終処分場に不法投棄された廃石膏ボードが原因で、致死性の高い「硫化水素ガス」が発生し、近隣住民や作業員が危険にさらされる事故が多発しました 。
参考)301 Moved Permanently
硫酸カルシウム(CaSO₄)自体は無毒で安全な物質です。しかし、以下の3つの条件が揃うと、凶悪な毒ガス発生源へと変貌します:
これらの条件が揃うと、土壌中に存在する「硫酸塩還元菌」というバクテリアが活発化します。この菌は有機物を分解する過程で、石膏に含まれる硫酸イオン(SO₄²⁻)から酸素を奪い、その結果として硫化水素(H₂S)を生成してしまうのです 。
このため、廃石膏ボードは「管理型最終処分場」での処分が法律で義務付けられていますが、処分コストが非常に高額になります 。そこで近年、建設業界全体で急速に進んでいるのが「石膏のリサイクル」です。
廃石膏ボードから紙を分離し、石膏部分を粉砕・焼成(カルサイニング)して再び半水石膏に戻せば、新しい石膏ボードの原料として再利用できます。大手メーカーでは、新築現場から出る端材だけでなく、解体現場から出る石膏ボードのリサイクル率向上にも取り組んでいます 。現場レベルでは、「石膏ボードを雨に濡らさない(有機物の腐敗防止)」「木くずやクロスと厳密に分別する」ことが、リサイクルコストを下げ、環境リスクを防ぐための最大の貢献となります 。
参考)石膏ボードをリサイクルするときの注意点や流れを詳しく解説 -…
日工株式会社:廃石膏ボードの硫化水素発生メカニズムとリサイクル技術
建築資材としてのイメージが強い硫酸カルシウムですが、実は私たちの口に入る食品や、農作物を育てる肥料としても広く利用されています。この事実は、施主に対して「石膏ボードは化学物質だが、安全性は非常に高い」と説明する際の強力な材料になります。
最も有名な用途は「豆腐の凝固剤」です 。昔ながらの「にがり(塩化マグネシウム)」の代わりに、硫酸カルシウム(すまし粉)を使うと、舌触りが滑らかで保水性の高い豆腐を作ることができます。これは硫酸カルシウムが豆乳のタンパク質とゆっくり反応して網目構造を作る性質を利用しています。食品添加物として認可されており、摂取しても人体に害はなく、カルシウム源としても機能します。
また、農業分野では「石膏肥料」として使用されます。これは植物に必要なカルシウムと硫黄を同時に補給できるためです。特に、以下のような効果があります:
さらに、学校で使うチョークの一部も硫酸カルシウム(焼き石膏)から作られています(最近は炭酸カルシウム製が主流ですが)。医療現場では、骨折時のギプス(Gipsはドイツ語で石膏の意味)や、歯科治療の歯型取りにも使われています 。
このように、硫酸カルシウムは「化学式 CaSO₄」という単純な構造でありながら、水との付き合い方(水和反応)を変えるだけで、火を防ぐ壁にも、美味しい豆腐にも、骨を治す包帯にもなる、極めて汎用性と安全性の高い物質なのです。ただし、前述の通り「酸素のない環境で有機物と混ぜる」ことだけはタブーであると覚えておいてください。
KEGG DRUG: 医療用医薬品としての硫酸カルシウムのデータ