
市街地建築物法は大正8年(1919年)4月5日に公布され、大正9年(1920年)12月1日に施行された日本における全国的な近代建築法制の出発点となる法律です。法律番号は大正8年法律第37号で、都市計画法(大正8年法律第36号)と連続する番号となっており、両法は姉妹法と呼ばれました。
この法律の制定背景には、明治維新以降の急速な都市化と産業革命の進行がありました。東京や大阪をはじめとする大都市や港湾都市では都市化が急速に進み、無秩序な市街地の拡大が問題となっていました。市街地建築物法は、都市の合理的発展と都市生活の安易快適さを保障することを目的として制定されました。
参考)市街地建築物法(しがいちけんちくぶつほう)とは? 意味や使い…
制定当時、建築行政は内務省の警察部局が担当しており、許可制度という形式で運用がスタートしました。名前の通り、当初は市街地にのみ適用される法律で、全国津々浦々に適用されるのは昭和25年の建築基準法制定まで待つことになります。
参考)建築基準法の改正について
市街地建築物法は建築物に関する統一的基本法として、また都市の健全な発展を促し、その不秩序な膨張を防止するという都市計画の目的を併せ持つ制度として機能しました。
法律の具体的な内容は以下の通りです。まず、用途地域制度を導入し、住居地域・商業地域・工業地域の3つの地域を設定しました。これにより、土地の用途を制限し、計画的な都市発展を図ることが可能になりました。
参考)https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/henbou/contents/38.html
次に、防火地区制度を設け、火災予防上必要と認められる地区において建築物の防火構造に関する制限を行うことができるようにしました。
さらに、美観地区制度も導入されました。これは市街地の美観を維持するための制度で、都市近郊の自然環境を保全しようとした風致地区と一対になっています。皇居周辺では昭和4年(1929年)に美観地区が指定され、建築物の構造・設備・敷地に関する制限が行われました。
建築物の高さについては、当時のロンドン建築法の100フィート(30.48m)という高さ制限に倣い、100尺(約30.303m)に制限されました。これは通称「百尺規制」と呼ばれ、昭和45年(1970年)の建築基準法改正で容積制が全面導入されるまで約50年間運用されました。
参考)https://www.dai3.co.jp/_old_hp/rbayakyu/20th/times/news202.htm
市街地建築物法の歴史において最も重要な転換点となったのが、大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災です。死者・行方不明者は10万人以上という記録的な大災害となり、これを契機に建築物の耐震性能が大きな課題として認識されるようになりました。
参考)建築基準法の変遷 ~災害の歴史とともに~ - 株式会社アイジ…
関東大震災の翌年、大正13年(1924年)に市街地建築物法は大改正されました。この改正で、日本の建築法規に初めて耐震規定が盛り込まれることになります。具体的には、佐野利器が提唱した「設計震度」の概念が採用され、鉄筋コンクリート造などについては水平震度0.1以上とする地震力規定が新設されました。
参考)http://star-3.com/taisinn%20hennsenn.html
木造住宅においても重要な変更がありました。それまで規定がなかった筋交いについて、筋交いなどの耐震規定が新設されました。この改正により、木造建築物の耐震性能が大幅に向上することになります。
参考)https://www.mokutaikyo.com/dcms_media/other/8100_nenpyo.pdf
この耐震基準の導入は、日本の建築物が地震に対する強度を法律で規定する最初の例となり、その後の建築基準法における耐震設計の基礎となりました。関東大震災という未曾有の災害が、日本の建築法制に与えた影響は極めて大きく、現代に至るまで継承されています。
参考)特集 関東大震災から100年③~帝都復興と今も受け継がれる防…
内閣府防災情報のページ - 関東大震災から100年の特集では、帝都復興と受け継がれる教訓について詳しく解説されています
第二次世界大戦後、社会状況の変化と建築技術の進歩に伴い、市街地建築物法は抜本的な見直しが必要となりました。昭和25年(1950年)5月24日、市街地建築物法に代わって建築基準法(昭和25年法律第201号)が制定されました。
参考)https://hourei.ndl.go.jp/simple/detail?lawId=0000042623amp;current=-1
建築基準法制定の主な理由は以下の通りです。まず、市街地建築物法は市街地にのみ適用される法律でしたが、戦後の復興期において全国すべての地域に統一的な基準を設ける必要性が高まりました。全国各地が戦火に見舞われたこともあり、市街地に限らず全国津々浦々での基準設定が求められたのです。
また、市街地建築物法では具体的な制限内容のほとんどを政令に委任していましたが、建築基準法では国民の権利義務に関する重要事項をすべて法律で具体的かつ詳細に規定することになりました。これは日本国憲法の精神に基づくもので、第25条の最低限の生存権保証と第29条の財産権の規定を踏まえたものです。
参考)建築物の耐震基準のいろは(福和伸夫) - エキスパート - …
建築基準法の制定により、市街地建築物法とその関連法令(市街地建築物法施行令、市街地建築物法施行規則など)は昭和25年11月23日に廃止されました。
参考)市街地建築物法等
ただし、市街地建築物法の遺産は現代にも残っています。その一例が「告示建築線」です。告示建築線とは、その線を越えて建物を建築することを禁じるもので、制定当時の建築線は幅9尺(約2.7m)とされていました。建築基準法制定と同時に「2項道路」に生まれ変わり、現在でも機能しています。
市街地建築物法は廃止から70年以上が経過していますが、その影響は現代の建築業にも深く根付いています。現在の建築基準法の骨格となる多くの制度が、市街地建築物法で初めて導入されたものだからです。
用途地域制度は、現在も都市計画法と建築基準法の中核をなす制度として機能しています。住居系・商業系・工業系の地域区分という基本的な考え方は、市街地建築物法から継承されたものです。現在では13種類の用途地域に細分化されていますが、その根本的な思想は変わっていません。
参考)都市計画法と建築基準法の関係 - 公益社団法人 全日本不動産…
防火地域・準防火地域の制度も、市街地建築物法で導入された防火地区制度が原型となっています。現在では、防火地域では3階以上または延べ面積100㎡超の建物は耐火建築物にしなければならず、準防火地域では4階以上または延べ面積1500㎡超の建物が対象となっています。
参考)防火地域や準防火地域って何? 家を建てるときの制限をわかりや…
構造強度に関する規定も、市街地建築物法で定められた基準が建築基準法に引き継がれ、さらに発展してきました。特に耐震基準については、大正13年の市街地建築物法改正で導入された水平震度の概念が、現代の許容応力度設計へと発展しています。
参考)木造住宅耐震基準の変遷
建築業従事者にとって重要なのは、現在の建築基準法を単なる技術基準として理解するのではなく、その背後にある歴史的経緯と法の理念を理解することです。市街地建築物法の制定から100年以上が経過した現在でも、「都市の健全な発展」「国民の生命・健康・財産の保護」という基本的な目的は変わっていません。
参考)「市街地建築物法の話」内務大臣官房都市計画課・大正15年 href="https://taf2012.sakura.ne.jp/wp/?p=5279" target="_blank">https://taf2012.sakura.ne.jp/wp/?p=5279amp;…
一般財団法人日本建築センター発行の「日本近代建築法制の100年」では、市街地建築物法から建築基準法までの詳細な歴史が記録されています
また、既存不適格建物の扱いなど、実務上直面する多くの課題も、法改正の歴史を理解することで適切に対処できるようになります。市街地建築物法時代に建てられた建物は現存しませんが、その法思想と制度設計の影響は、今日の建築実務のあらゆる場面に息づいているのです。