
市街地建築物法とは、大正8年(1919年)に制定された日本における全国的な近代建築法制の出発点となる法律です。この法律は大正8年法律第37号として公布され、大正9年(1920年)12月1日から施行されました。市街地建築物法は建築物に関する統一的基本法として位置づけられ、都市の健全な発展を促し、その無秩序な膨張を防止するという都市計画の目的を併せ持つ制度でした。
参考)大正8年「市街地建築物法建築物法」
当時の池田宏内務省都市計画課長は、市街地建築物法について「各地の警察法規に散在している種々の建築制限に関する規定の総体でその時勢に足らざるを補充し統一的基本法」と説明しています。この法律の目的精神は、市町村として将来最も秩序ある健全な発展を遂げさせようとする都市計画の完成にあったとされています。
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市街地建築物法は昭和25年(1950年)に建築基準法へと全面改正されるまで、約30年間にわたり日本の建築行政の根幹を担ってきました。この法律が制定された背景には、大都市の急速な発展と建築物に関する規制の必要性が高まっていたことがあります。
参考)https://www.mlit.go.jp/common/000204838.pdf
市街地建築物法は、旧都市計画法と姉妹法として制定されました。両法は法律番号が連続しており、旧都市計画法が大正8年法律第36号、市街地建築物法が大正8年法律第37号となっています。この姉妹法関係は、都市計画と建築規制を一体的に進める当時の政策意図を示しています。
参考)https://www.ken-bs.co.jp/studysupport/syoseki-annai-dokusya-houreisyuu_toshikeikaku_gaiyou.html
旧都市計画法は大都市を対象として、都市計画の権限・手続き、都市計画委員会制度、土地区画整理など、都市計画を総合的・永続的に実行する制度とされました。一方、市街地建築物法は具体的に市街地内の建築物のあり方を規定し、中小都市の市街地にも広く適用させる制度として考えられていました。
両法の起草には内務省都市計画課長の池田宏をはじめ、片岡安、関一らが携わり、内務大臣を会長とする「都市計画調査会」において審議が行われました。制定当時の日本は、欧米の都市計画制度を参照しながら、日本独自の近代都市制度の構築を目指していました。
参考)「住宅問題と都市計画」再考:都市計画家は「一元化テーゼ」を提…
市街地建築物法は全26条から構成され、用途地域制、建築線制度、高さ制限、構造規定、防火規定など、現在の建築基準法にも受け継がれる多くの重要な規定を含んでいました。
参考)市街地建築物法1919
用途地域制の導入
第1条では、主務大臣(内務大臣)が本法を適用する区域内に住居地域、商業地域または工業地域を指定することができると規定していました。第2条から第5条にかけて、各地域内での建築制限が定められており、住居地域では住居の安寧を害するおそれのある用途の建築物を建築できない、商業地域では商業の利便を害するおそれのある用途の建築物を建築できないといった制限がありました。
参考)市街地建築物法1938
建築線と接道義務
第7条では道路敷地の境界線を建築線とすることを定め、第8条では建築物の敷地は建築線に接することを要するとされました。これは現在の接道義務の原型となる規定で、道路と建築物の関係を明確に定めた画期的な制度でした。第9条では建築物は建築線より突出させることができないと規定されていました。
参考)大阪市:建築基準法上の道路種別と道路判定等 (…href="https://www.city.osaka.lg.jp/toshikeikaku/page/0000012045.html" target="_blank">https://www.city.osaka.lg.jp/toshikeikaku/page/0000012045.htmlgt;建築基準法…
高さ制限と空地の規定
第11条では建築物の高さと空地の指定について定められており、住居地域では65尺(約20メートル)、商業地域・工業地域では100尺(約31メートル)の絶対高さ制限が設けられました。この絶対高さ制限は日本の近代以降における絶対高さ制限の嚆矢となりました。
参考)https://www.lij.jp/html/jli/jli_2008/2008winter_p051.pdf
防火地区と防火壁
第13条では防火地区と防火壁に関する規定が設けられ、市街地における火災の延焼防止を目的とした制度が導入されました。これは関東大震災以前から火災対策の重要性が認識されていたことを示しています。
参考)耐震のはなし 日本の耐震基準は命を守る最低基準、生活や生業は…
特殊建築物と美観地区
第14条では特殊建築物の規定、第15条では美観地区の規定が設けられていました。美観地区制度は都市の美観を保つために、建築物の構造・設備・敷地に関する制限を行うことができる制度で、全国初の美観地区が京都に指定されました。
参考)https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/henbou/contents/50.html
市街地建築物法制定当初は、建築物の構造強度に関する規定はあったものの、地震力に対する明確な耐震規定は含まれていませんでした。建物の自重などに対して安全性を確認する規定が中心であり、地震に対する備えは十分ではありませんでした。
参考)jishin : 防災情報のページ - 内閣府
大正12年(1923年)の関東大震災を受けて、翌年の大正13年(1924年)に市街地建築物法が改正され、耐震規定が加えられました。この改正では、水平震度0.1、コンクリートの安全率は3.0と定められ、300ガル(震度6弱と6強の境くらいの建物の揺れに相当)に対して安全性を確かめることを意味していました。
参考)地震に負けない建築物を! 建築基準法の改定と耐震基準の歴史を…
この基準値は地震学者の石本巳四雄が東京本郷の加速度を300ガル程度と推定していたことが根拠となっています。当時のRC造建物は壁が多くて堅かったため、建物と地盤の揺れは同程度だと考えられていました。
ただし、この耐震基準には限界がありました。本郷の揺れは小田原、横浜、東京下町に比べて弱かったため、家屋被害が甚大になる震度7のような強い揺れに対しては、建物の安全性は保障していなかったのです。関東大震災を通じて、鉄筋コンクリート造建築の耐震耐火の価値が一般的に認められ、日本の建築技術の発展に大きな影響を与えました。
参考)https://www.ier.hit-u.ac.jp/kouenkai0610/hayashi.pdf
市街地建築物法と旧都市計画法は姉妹法として一体的に運用される関係にありました。両法の関係は現在の建築基準法と都市計画法の関係とは異なる特徴を持っていました。
参考)旧都市計画法、市街地建築物法での用途地域制の再考
旧都市計画法第10条では「都市計画区域内において市街地建築物法による地域または地区の指定、変更または廃止を為すときは都市計画の施設としてこれを為すべし」と規定されており、旧都市計画法は地域指定に関与するだけでした。用途地域制は市街地建築物法に規定されており、地域指定及び建築物の権利制限が市街地建築物法で行われていました。
これに対し、現在の都市計画法では用途地域が都市計画法第9条により規定され、地域指定が第8条で行われ、建築物の権利制限については都市計画法第10条が建築基準法に委ねています。つまり、旧都市計画法は用途地域での建築物の権利制限規定を持っていませんでしたが、現在の都市計画法と建築基準法では役割分担が明確化されています。
旧都市計画法案の検討過程では、用途地域制が旧都市計画法案に位置づけられ、地域指定及び建築物の権利制限の条文を含んでいた時期もありました。しかし最終的には、建築物の具体的な規制は市街地建築物法が担当し、都市計画の大枠は旧都市計画法が担当するという役割分担が確立されました。
内務省は大正7年(1918年)に都市計画調査会と救済事業調査会を設置し、前者では大臣官房都市計画課長池田宏が、片岡安、関一らと法案を起草しました。両法の制定により、日本における近代的な都市計画行政が始まったとされています。
参考)https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/keikaku_chousa_singikai/pdf/tokyotoshizukuri/2_01.pdf
市街地建築物法は現在の建築基準法の前身として、現代の建築行政に多大な影響を与えています。この法律で確立された多くの制度や概念は、形を変えながらも現在まで受け継がれています。
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制度の継承
建築線制度は現在でも一定の実質的効果をもって「生きて」おり、市街地建築物法により指定された建築線は建築基準法に受け継がれています。用途地域制度も市街地建築物法で確立された後、建築基準法において発展し、現在では13種類の用途地域が定められています。
参考)https://www.mlit.go.jp/crd/city/plan/03_mati/04/index.htm
高さ制限についても、現在の建築基準法等で用いられている「31m」及び「20m」の数値は、市街地建築物法における絶対高さ制限「100尺」及び「65尺」に由来しています。このように、数値基準そのものも市街地建築物法から継承されているケースがあります。
参考)http://www.kansai-kantei.co.jp/mame_chishiki/Vol49_%E5%BB%BA%E7%AF%89%E7%89%A9%E3%81%AE%E9%AB%98%E3%81%95%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%95%B0%E5%80%A4%EF%BC%8831m%E5%8F%8A%E3%81%B320%EF%BD%8D%EF%BC%89%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.pdf
建築基準法への発展
第二次世界大戦後、戦後の日本社会に適合した建築行政を行うために、市街地建築物法の全面改正の要望が出されました。当時の建設省は1949年(昭和24年)から改正案作成に着手し、1950年(昭和25年)に単体規定を定めた建築基準法が施行されました。
参考)https://www.ken-bs.co.jp/studysupport/syoseki-annai-dokusya-houreisyuu_kenchikukijun_gaiyou.html
建築基準法では、市街地建築物法の集団規定(建築物と都市の関係についての規定)に加えて、建築物自身の安全に関する規定(単体規定)が明確に定められました。市街地建築物法が特殊建築物等を建築する場合に建築許可処分を課していた点などは現行制度と異なりますが、用途規制、接道義務、建築物の構造・設備・敷地に関する衛生上・保安上等の規制など、現行制度と類似の規制内容を含んでいました。
建築業界への実務的影響
市街地建築物法で確立された建築許可制度や確認申請の概念は、現在の建築確認制度の原型となっています。第16条では建築工事の規定が定められ、行政による監督体制が整備されました。第17条の行政措置、第19条の罰則規定など、法律の実効性を担保する仕組みも整備されており、これらは現代の建築行政にも引き継がれています。
市街地建築物法の施行により、法適用都市は激増し、市については6大都市のみならず、全面的に適用されるようになりました。これにより、全国的に統一された建築規制が実現し、建築業界における標準化と品質向上が促進されました。建築物の集団が都市であり、都市を災害等から守ることこそが都市の健全な発展に寄与されるという考え方は、現在の建築行政の基本理念として定着しています。
<参考リンク>
国土交通省の建築法体系に関する詳細な資料はこちら
建築法体系勉強会とりまとめ(PDF)
建築基準法の前身である市街地建築物法の全文はこちら
市街地建築物法1919(足利工業大学)
建築基準法制定100周年記念の研究資料はこちら
日本近代建築法制の100年(PDF)