

疎水効果を理解するためには、まず水という物質の特殊な性質と、そのミクロな構造に目を向ける必要があります。私たちが普段建築現場や設計で扱う「水」は、単なる液体ではなく、極めて複雑なネットワークを持った分子の集合体です。
水分子(H₂O)は、酸素原子と水素原子から成り、極性を持っています。酸素側はわずかにマイナスに、水素側はプラスに帯電しているため、隣り合う水分子同士は電気的な引力である「水素結合」によって結びついています。純粋な水中では、この水素結合は絶えず生成と消滅を繰り返しており、非常にダイナミックで乱雑な状態(エントロピーが高い状態)にあります。
しかし、ここに油のような「疎水性分子(非極性分子)」が投入されると、状況が一変します。疎水性分子は水と水素結合を作ることができません。そのため、疎水性分子に接している水分子は、結合相手を失うことになります。このとき、水分子は残された水素結合の可能性を最大限に活かそうとして、疎水性分子を取り囲むように整然と並び始めます。
この現象は、水分子が疎水性物質の周囲で「籠(かご)」のような構造、専門的には「クラスレート(包摂)構造」あるいは「アイスバーグ(氷山)構造」を形成すると表現されます。
疎水効果 - Wikipedia (水分子が再配向し、とりうる配置が制限されることでエントロピー損失が起こる詳細な解説)
参考)疎水効果 - Wikipedia
重要なのは、この「整列」が熱力学的には「不都合」であるという点です。物質の世界では、乱雑さ(エントロピー)が大きい状態ほど安定するという大原則があります。水分子が整列してしまうことは、エントロピーの減少を意味し、エネルギー的に不安定な状態を強いられていることになります。
建築材料における撥水性を考える際、この「水分子が窮屈な状態を嫌がる」という性質が、すべての駆動力の源となっているのです。水が油を弾くのではなく、水が自分たちの自由を守るために油を排除しようとする働きこそが、疎水効果の本質的なメカニズムと言えます。
前項で触れた「水分子の不快感」を、物理化学の言語である「ギブス自由エネルギー(\(\Delta G\))」を用いて定量的に解釈します。建築構造物の安定性を計算するように、化学反応もエネルギーの収支でその方向性が決まります。
熱力学の基本式は以下の通りです。
ΔG=ΔH−TΔS
ここで、ΔGはギブス自由エネルギーの変化、ΔHはエンタルピー(熱量)の変化、Tは絶対温度、そしてΔSがエントロピー(乱雑さ)の変化を表します。変化が自発的に進むためには、ΔGがマイナスになる(エネルギーが低下して安定化する)必要があります。
疎水効果において、非極性物質(疎水基)同士が水中でくっつく現象をこの式に当てはめてみましょう。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/biophys1961/33/1/33_1_21/_pdf
疎水性相互作用(Hydrophobic Interaction) - yakugaku lab (水分子が再び自由に動けるようになり、系全体のエントロピーが増加するプロセスの解説)
参考)疎水性相互作用(Hydrophobic Interactio…
この理解は、コンクリート用化学混和剤や撥水剤の開発において極めて重要です。単に「水を弾く物質」を探すのではなく、「いかに効率よく水分子の構造化を解消させるか」という視点が、高性能な材料設計に繋がります。
建築実務において、疎水効果とエントロピーの理論が最も鮮やかに具現化されているのが「シラン系表面含浸材」によるコンクリートの保護です。鉄筋コンクリート造の寿命を縮める最大の要因は「水」の浸入です。水が媒体となって塩化物イオンを運搬したり、中性化を促進したりします。
シラン系含浸材(アルキルアルコキシシランなど)をコンクリート表面に塗布すると、以下のようなプロセスで疎水層が形成されます。
ここで重要なのが、壁面に並んだ「アルキル基(メチル基など)」の役割です。アルキル基は非極性であり、水分子との親和性が極めて低いです。雨水などの液体の水がこの細孔に入ろうとすると、アルキル基表面で水分子が「籠構造」を作らなければならず、局所的なエントロピー減少(自由エネルギー増大)を招きます。自然界はこのエネルギー的に不利な状態を避けるため、水滴を球状に丸めて接触面積を最小にしようとします。これが、巨視的に見たときの「接触角の増大」つまり「撥水」です。
シラン系表面含浸材(撥水型)とけい酸塩系表面含浸材の特徴・比較 (シラン系含浸材がコンクリート細孔を塞がずに疎水性を付与し、透水抑制率が高いことの実証データ)
参考)29.シラン系表面含浸材(撥水型)とけい酸塩系表面含浸材(緻…
シラン系表面含浸材について (表層部を疎水性に改質し、塩化物イオン等の劣化因子を遮断するメカニズムの解説)
参考)公益社団法人 日本コンクリート工学会
| 特性 | シラン系含浸材(疎水効果利用) | 従来の塗膜防水 |
|---|---|---|
| 水の浸入 | 防ぐ(表面張力による) | 防ぐ(物理的な膜による) |
| 水蒸気の移動 | 通す(透湿性あり) | 通さない(密閉) |
| 外観 | 変化なし(コンクリート質感維持) | 光沢や色変化あり |
| 劣化リスク | 内部水分の蒸発が可能 | 膨れ・剥がれのリスクあり |
特筆すべきは「透湿性」です。液体の水(大きな集合体)は疎水効果によって細孔に入れませんが、気体の水分子(水蒸気)は単独で運動エネルギーが高く、エントロピーも元々大きいため、疎水性バリアの影響を受けずに細孔を通過できます。これにより、コンクリート内部の余分な水分を外部へ逃がしつつ、外部からの雨水は遮断するという、理想的な「呼吸するコンクリート」が実現します。これはエントロピーの観点から液相と気相の挙動の違いを巧みに利用した技術と言えます。
検索上位の一般的な解説ではあまり触れられませんが、疎水効果には「温度依存性」という興味深い特性があります。これは、現場での施工管理や長期的な耐久性を考える上で、意外な盲点となる可能性があります。
通常、化学反応の多くは温度が上がると活発になりますが、結合などは熱運動によって切れやすくなるのが一般的です。しかし、疎水効果(疎水性相互作用)は、ある温度範囲(室温から中温域)においては温度が上昇するとともに強くなるという特異な性質を持っています。
最後に、コンクリートの流動性を制御する「化学混和剤(AE減水剤や高性能AE減水剤)」における疎水効果とエントロピーの役割について解説します。これらは現代の建築において、高強度・高耐久なコンクリートを作るために不可欠な材料です。
混和剤の主成分である界面活性剤は、親水基(水になじむ部分)と疎水基(水を弾く部分)の両方を持っています。これらを水に溶かすと、ある濃度(臨界ミセル濃度:CMC)を超えた時点で、疎水基同士を内側に、親水基を外側(水側)に向けた球状の集合体「ミセル」を形成します。
このミセル形成こそが、まさに疎水効果とエントロピー増大によって引き起こされる現象です。
【大学の物理化学】分子間相互作用④(疎水性相互作用、双極子間相互作用、エントロピー) (界面活性剤がミセルを形成する際のエントロピー駆動メカニズムの動画解説)youtube
コンクリートの中で、これらの混和剤はセメント粒子の表面に吸着します。
ここで重要なのが「高性能AE減水剤」に用いられるポリカルボン酸系ポリマーです。このポリマーは、主鎖に吸着基を持ち、長い側鎖(ポリエチレングリコール鎖など)を持っています。この側鎖が水中で広がろうとする力も、実はエントロピー的な効果が関係しています。
側鎖が十分に水和し、水中でランダムに揺れ動く(エントロピーが高い状態を保つ)ことで、セメント粒子同士が近づいたときに「自由度が制限される(エントロピーが減る)」ことを嫌う反発力が生まれます。これを「立体障害効果」と呼びますが、その根底にはエントロピーの原理があります。
つまり、コンクリートがドロドロと滑らかに流動し、型枠の隅々まで充填されるのは、微視的には水分子とポリマー鎖が「高いエントロピー状態(自由な状態)を維持したい」と反発し合っている結果なのです。
建築従事者が普段何気なく使用している「撥水剤」や「減水剤」。その機能の裏側では、目に見えない水分子たちが「自由」を求めて絶えず動き回り、その熱力学的な力が巨大な構造物を支える強度や耐久性を生み出しています。疎水効果を「水を嫌う」という感情的な言葉ではなく、「エントロピーを最大化するシステム」として理解することで、材料選定や施工管理の質をより一層高めることができるでしょう。

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