

日本の建築現場において、図面上の数値は「ミリメートル(mm)」で記載されているにもかかわらず、現場での会話や材料の呼び名は依然として「尺(しゃく)」や「寸(すん)」、そして「坪(つぼ)」が飛び交っています。この「ねじれ現象」の根幹には、日本におけるメートル法化の複雑な歴史があります。
日本がメートル条約に加盟したのは明治18年(1885年)のことですが、実際にメートル法への完全移行が法律(計量法)によって義務付けられたのは、昭和34年(1959年)1月1日のことです。この日を境に、土地や建物の表記を除く商取引において、尺貫法の使用が原則として禁止されました。特に建築業界や不動産業界にとっては激震とも言える改革であり、違反者には罰金が科されるほど徹底的なものでした。
しかし、法律が変わったからといって、長年培われてきた職人の身体感覚や、日本の家屋規格が一朝一夕に変わることはありませんでした。例えば、柱の間隔を表す「一間(いっけん)」は約1.818メートルですが、これは畳の長辺や襖(ふすま)の規格と密接に結びついています。もし完全にメートル法のきりの良い数字(例えば2メートル)に移行しようとすれば、既存の日本の住宅ストックの補修ができなくなり、家具や建具の互換性も失われてしまいます。
結果として、日本の建築業界では「表記はメートル法、実態は尺貫法」という独自のダブルスタンダードが定着しました。これを「尺モジュール」と呼びますが、現在主流の「910mmグリッド」は、まさに3尺(約909mm)を丸めた数字です。この910mmという数字は、半間(はんげん)に相当し、廊下の幅やトイレの幅、階段の幅など、日本人の体格や生活様式に最適化された寸法として、現代のプレカット工場でも標準規格として採用され続けています。
参考リンク:メートル法導入実施狂騒曲 - 上越市ホームページ(メートル法移行時の混乱と歴史的資料)
メートル法化の歴史を語る上で、決して避けて通れないのが、昭和のマルチタレント・永六輔氏による「尺貫法復権運動」です。これは多くの建築関係者でも、若い世代にはあまり知られていない事実かもしれませんが、かつて日本では「曲尺(かねじゃく)」や「鯨尺(くじらじゃく)」といった尺貫法の目盛りが付いた定規を販売することさえ、計量法違反として警察の摘発対象になっていた時期がありました。
1970年代、大工や和裁の職人たちから「仕事にならない」という悲痛な声が上がり始めました。伝統的な日本建築や着物は、尺や寸で割り付けが行われており、これを無理やりセンチメートルやミリメートルに換算すると、30.303...mmのような割り切れない数字になり、精密な職人仕事に致命的な誤差を生じさせるからです。文化的な破壊とも言えるこの状況に対し、永六輔氏は「日本の伝統文化を守れ」と立ち上がり、自ら尺貫法の定規を使ってテレビに出演するなど、逮捕も辞さない覚悟で抗議活動を行いました。
この運動がなければ、現在のホームセンターで「尺相当目盛付き」のコンベックス(メジャー)を手に入れることは不可能だったかもしれません。私たちが現場で当たり前のように使っている「尺目」のメジャーは、先人たちの抵抗と「使いやすさ」への執念が勝ち取った権利とも言えるのです。このエピソードは、単なる単位の話を超えて、効率化(メートル法化)と伝統技術(尺貫法)の狭間で揺れる建築業界の象徴的な出来事と言えます。
参考リンク:「日本文化を守る」永六輔さんと尺貫法復権運動(職人と共に戦った歴史的経緯)
日本の在来工法が尺貫法をベースにしている一方で、北米から導入された「ツーバイフォー(2x4)工法」は、ヤード・ポンド法(インチ・フィート)をベースにしています。ここで、メートル法化された日本の建築現場において、さらなる複雑な「整合性」の問題が発生します。ツーバイフォー工法は、その名の通り「2インチ×4インチ」の木材を使用する工法とされていますが、実際に現場で使用される木材(スタッド)の寸法を測ると、2インチ(約50.8mm)×4インチ(約101.6mm)ではありません。
実際のツーバイフォー材(JAS規格およびSPF材)の断面寸法は、「38mm × 89mm」です。これは、製材する前の「荒材(グリーン材)」の段階では2インチ×4インチに近い寸法があるものの、乾燥(ドライ)させ、表面をプレーナー加工(カンナがけ)して仕上げると、一回り小さくなるためです。この「呼び名(インチ)」と「実寸法(ミリ)」のズレは、メートル法化された日本の現場において、初心者が最も混乱するポイントの一つです。
| 呼び名 | インチ換算(参考) | 実寸法(ミリ) | 用途 |
|---|---|---|---|
| 1x4(ワンバイフォー) | 約25.4mm x 101.6mm | 19mm x 89mm | 下地材、DIY |
| 2x4(ツーバイフォー) | 約50.8mm x 101.6mm | 38mm x 89mm | 壁のスタッド(間柱) |
| 2x6(ツーバイシックス) | 約50.8mm x 152.4mm | 38mm x 140mm | 外壁(高断熱)、屋根垂木 |
さらに、日本の建材(石膏ボードや合板)は、「サブロク(3尺×6尺=910mm×1820mm)」が標準ですが、輸入住宅や本格的なツーバイフォー建築では「フィートモジュール(4フィート×8フィート=約1220mm×2440mm)」の合板を使うこともあります。メートル法(mm)で図面を引きながら、構造材はインチベースの実寸法(38mm)、面材は尺ベース(910mm)またはフィートベース(1220mm)という、3つの異なる単位系が混在する現場こそが、日本の「メートル法化」の現実的な到達点なのです。この複雑な整合性を保つために、現場監督や職人は無意識のうちに高度な計算を行っています。
参考リンク:ツーバイフォー工法(2×4工法)とは? 構造の基本や在来工法との違い(寸法の詳細解説)
世界中のほとんどの国がメートル法(SI単位系)を採用している中で、頑なにヤード・ポンド法を使い続けている大国がアメリカです。ミャンマーやリベリアと共に「メートル法へ移行していない数少ない国」として知られていますが、このアメリカの姿勢が、日本の建築業界におけるメートル法化の完全統一を阻む一因にもなっています。
なぜアメリカはメートル法化しないのでしょうか。最大の理由は「コスト」と「産業構造」です。アメリカ国内のすべての道路標識、工場の機械、建築資材の規格、そして職人の教育をすべてメートル法に変更するには、天文学的な費用がかかります。特に建築業界においては、すべての既存住宅がフィート・インチで建てられており、リフォームや修繕の際にメートル法の建材を持ってきてもサイズが合わないという実用上の問題が発生します。
このように、日本の「メートル法化」は国内の事情だけでなく、国際的な貿易事情、特にアメリカという巨大な「非メートル法圏」との付き合いによって、完全な統一が難しい状況にあります。私たちが普段使う「OSB合板」や「輸入サッシ」の寸法が半端なミリ数である背景には、こうした世界経済の力学が働いているのです。
参考リンク:なぜアメリカは「メートル単位」をかたくなに拒絶するのか?(歴史的・経済的背景)
最終的に、日本の建築現場におけるメートル法化の現状を象徴しているのが、合板や石膏ボードのサイズである「3×6(サブロク)」という規格です。メートル法で言えば「910mm × 1820mm」ですが、これは正確に「3尺 × 6尺」です。なぜ、メートル法化から60年以上経っても、キリの良い「1000mm × 2000mm(メーターモジュール)」の建材が主流にならないのでしょうか。
最大の理由は、輸送と物流の効率、そして日本の住宅スケールとの親和性です。
メーターモジュールの家(1グリッド=1000mm)は、廊下やトイレが広くなり、バリアフリーの観点からは推奨されています。大手ハウスメーカーの一部ではメーターモジュールを標準採用していますが、業界全体で見れば依然として少数派です。
もし仮に、日本のすべての建材を明日から「1000mm幅」に強制統一したとします。すると、何が起こるでしょうか。
まず、トラックの荷台の規格と合いません。4トン車の荷台幅などは、従来の建材パレットが効率よく積載できるように設計されています。また、既存の日本の狭小地において、壁芯間隔が910mmから1000mmに広がると、6畳間(約10平米)を確保しようとした際に、建物全体が大きくなりすぎて敷地に入らなくなる、あるいは部屋数が減るといった問題が発生します。
結局のところ、法律上の「メートル法化」は達成されましたが、現場の実務レベルでは「尺貫法の精神をミリメートルという言語で翻訳して使っている」というのが実情です。この翻訳作業こそが、現代の建築職人に求められる特殊技能の一つと言えるかもしれません。無理に整合性を取ろうとして伝統的な寸法を捨て去るのではなく、メートル法の客観性と尺貫法の身体性を使い分ける知恵こそが、これからの建築現場には必要とされているのではないでしょうか。
参考リンク:建築現場で尺貫法が今も使われる理由(メートル法との共存の秘密)

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