

矢板工法で切羽を進めるとき、「地山が安定しているうちに早く掘り切る」ほうが安全だと思っていませんか?
矢板工法は、切羽の地山を小断面ずつ分割して掘削し、掘削と同時進行で木製または鋼製の矢板を建て込んで地山の崩落を防ぐ工法です。現在主流のNATM(新オーストリアトンネル工法)が地山自体の自立能力を積極的に利用するのに対し、矢板工法は「地山が自立できない」という前提のもとで設計されています。つまり地山の強度に頼らない設計が原則です。
矢板工法の歴史は古く、明治時代から昭和にかけての鉄道トンネルや道路トンネルで標準的に使われてきました。現在でも軟弱地盤や都市部の近接施工、あるいは既設構造物の直下を通過する場面では、地山へのゆるみを最小限に抑えられる矢板工法が選択されます。たとえば東京・大阪などの大都市地下工事では、NATMではなく矢板工法が採用されるケースが今なお少なくありません。
NATMとの最大の違いは「支保工の役割」にあります。NATMでは吹付けコンクリートとロックボルトが一次支保として機能し、地山自体がアーチを形成します。一方、矢板工法では鋼製支保工(H形鋼や溝形鋼のリング)が主たる荷重負担部材となり、矢板はその間を埋める「土止め板」として機能します。荷重の伝達経路がまったく異なるため、支保工の寸法計算や施工手順の考え方をNATMと混同すると、重大な設計ミスにつながります。これは見落としやすい盲点です。
施工単位は「1巻き」または「1スパン」と呼ばれる掘削単位で管理されます。1スパンの長さは地山条件によって異なりますが、軟弱地山では50~75cmが標準的であり、比較的良好な地山でも1.0m以内に抑えることが多いです。このスパン長の設定ミスは後工程の支保工ピッチにも波及するため、施工計画段階での地山評価が決定的に重要です。
矢板工法における掘削は、全断面を一度に掘り切るのではなく、上半断面と下半断面に分けて進めるのが基本です。上半先進工法では、まずアーチ部(馬蹄形断面の上半分)を掘削して支保工を組み立て、それが安定してから下半部の掘削に着手します。この「上先行・下後追い」の原則が矢板工法の施工リズムの骨格です。
上半掘削の具体的な手順は次のとおりです。まず切羽直前の地山に対して水平矢板を打設し、掘削面の崩落を防ぎます。次にブレーカーやショベル系掘削機で地山を所定の寸法まで掘り取り、ズリ(掘削土砂)を搬出します。掘削が完了したら即座に鋼製支保工を建て込み、矢板を隙間なく充填してから吹付けコンクリートで固定します。この一連の作業を1スパンと数え、完了後に次のスパンの掘削に進みます。
切羽管理において現場担当者が見落としやすいのが「切羽の観察記録」の重要性です。地山の色・湧水の有無・亀裂の方向・ブロック状の割れ目など、切羽の状態を毎スパン写真と文字で記録することは、後工程の支保パターン変更判断に直結します。国土交通省の「トンネル工事施工管理基準」では、切羽観察を施工管理の必須項目として位置付けており、記録の省略は発注者への報告義務違反にもなりえます。記録は必須です。
地山が予想より軟弱だった場合、スパン長を当初計画より短縮することが現場判断で行われがちですが、支保工ピッチも連動して変更しなければ設計上のアーチ効果が失われます。支保工ピッチとスパン長は必ずセットで変更することを徹底してください。また、切羽の湧水量が毎分10Lを超えてきた場合は、薬液注入や水抜きボーリングなどの補助工法の導入を即座に検討する必要があります。湧水は地山劣化の先行指標です。
支保工設置は矢板工法の品質を決定づける最重要工程です。鋼製支保工は、通常H-125またはH-150サイズのH形鋼を円弧状に加工したものを使用し、掘削面にぴったり沿うよう建て込みます。建込み精度の目安は、設計位置に対して±30mm以内とされており、これを超えると覆工コンクリートの厚さが不足する箇所が生じます。精度管理が品質を守ります。
支保工建込み後に行う吹付けコンクリートは、支保工と地山の空隙をなくす「裏込め」の役割と、支保工を固定する「脚止め」の役割を兼ねています。吹付け厚は設計図書で定められていますが、一般的な軟弱地山では初期吹付け厚10cm、追加吹付けを含めた最終厚は15~20cmが標準です。吹付けコンクリートのリバウンド率(跳ね返り率)は施工管理上の重要指標であり、20%以下に抑えることが品質基準として求められています。
計測管理は、矢板工法においてとくに重要性が高い管理項目です。主な計測項目は、内空変位(トンネルの横幅・高さの変化)、天端沈下量、地表面沈下量の3つです。なかでも掘削直後72時間以内の初期変位速度のデータは、地山が安定しているかどうかを判断するうえで決定的な情報になります。この時間帯のデータを省略したり間隔を粗くしたりすると、変位が収束したと誤判断して次スパンの掘削に進んでしまい、後から支保工の全面やり直しが必要になる事例も報告されています。意外に思えますが、初期72時間が全体のコストを左右します。
計測結果の管理基準値は、設計段階で「注意値・警戒値・限界値」の3段階で設定されます。変位速度が注意値を超えた場合は計測頻度を増やし、警戒値を超えた場合は掘削を一時停止して対策を協議します。限界値に達した場合は即時施工停止と設計変更の検討が義務付けられます。これらの基準値を現場の黒板やホワイトボードに常時掲示し、測量担当者だけでなく掘削オペレーターも把握しておくことが、実務上の事故防止につながります。
国土交通省|トンネル工事施工管理基準(参考:計測管理基準値の設定方法)
覆工コンクリートは、矢板工法トンネルの最終的な構造体を形成する工程です。一次支保工(鋼製支保工+矢板+吹付けコンクリート)が地山の変位を収束させた後、所定の内空断面に型枠(セントル)を設置して覆工コンクリートを打設します。打設は下部側壁から始め、アーチ頂部に向かって左右対称に進めるのが基本です。これが崩落リスクを下げる原則です。
打設時に注意すべきポイントは「巻厚管理」と「打設速度」の2点です。巻厚(覆工コンクリートの厚さ)は一般的な道路トンネルで30cm以上が標準ですが、設計荷重によっては45cmを超えることもあります。型枠にあらかじめ巻厚確認ピン(鉄筋製のスペーサー)を取り付けておくことで、コンクリート打設中に厚さが確保されているかをリアルタイムで確認できます。
打設速度は1m/h以内が一般的な管理基準です。これを超えると側圧が急増して型枠が変形・破損するリスクがあります。型枠が破損すると覆工の再打設が必要になり、最悪の場合は支保工まで損傷します。工期と費用の両面での損害は甚大です。コンクリートの締固めにはバイブレーターを使用しますが、矢板工法では鋼製支保工の腹板部分に気泡が溜まりやすく、この箇所へのバイブレーター当てが不足すると覆工に空洞(コールドジョイント)が発生します。仕上がり検査でのコアボーリングでNG判定を受けないために、支保工周辺への集中的な締固めを作業手順書に明記しておくことを勧めます。
覆工完了後は、脱型後の内面観察と打音検査を実施します。打音検査は専用ハンマーで覆工表面を叩き、濁音(空洞音)がする箇所を特定するもので、熟練した検査員なら数mmの空洞も聴き分けられます。近年では赤外線サーモグラフィや3Dレーザースキャナーを使った非破壊検査も普及しており、覆工全面の品質を定量的に評価できます。これは使えそうです。
土木学会|トンネル標準示方書(山岳工法編)(参考:覆工コンクリートの施工基準)
これはあまり教科書に載らない話です。矢板工法における補助工法(フォアパイリング・AGF・薬液注入など)の選定は、施工計画段階で地山調査結果に基づいて決定されますが、実際の現場では「当初計画にない補助工法を途中から追加する」ケースが頻繁に発生します。この追加タイミングと意思決定の遅れが、施工コストと工期の超過につながる最大の原因の一つです。
フォアパイリング(前方矢板打設)は、切羽前方の地山に鋼管矢板を打ち込んで先行的に地山を固定する工法で、ルーズな砂質地山や崩落歴のある地山で有効です。1スパンあたりの施工時間は追加で2~4時間程度ですが、これを惜しんで省略した結果、切羽崩壊が起きた場合の復旧コストは数百万円から場合によっては数千万円規模になります。補助工法は「保険」として考えるのが正解です。
薬液注入工法は、地山の亀裂に水ガラス系またはウレタン系の薬液を注入して地山を固結させる工法です。注入圧力の管理が重要で、過大な注入圧は既設の支保工や矢板を押し上げて変形を生じさせることがあります。注入圧の標準管理値は地山条件によりますが、一般的には0.2~0.5MPaの範囲内で管理します。これだけ覚えておけばOKです。
AGF工法(長尺鋼管フォアポーリング)は、直径76.3mmまたは114.3mmの鋼管を掘削方向に数m先まで先打ちする工法で、崩壊性の高い土砂地山や豊水地山で特に有効です。単価はフォアパイリングより高いですが、切羽の自立時間を大幅に延ばせるため、都市部のシールドトンネルとの近接施工など、絶対に崩落させられない場面での採用実績が多い工法です。
補助工法の選定を現場担当者が一人で判断するのは危険です。地山条件が当初設計と大きく異なると判断された時点で、すみやかに監理技術者・設計担当者・発注者を交えた「設計変更協議」を起こすことが、最終的な工期短縮とコスト抑制に直結します。協議の遅れが最大のリスクです。
現場での補助工法に関する情報整理には、施工計画書に補助工法の発動基準(例:切羽観察でDI評価がⅣ以下になった場合は即座にAGFを検討するなど)を数値付きで明記しておくことが実務上もっとも効果的です。「状況が悪くなったら考える」という曖昧な運用では、判断が遅れます。発動基準の数値化が安全を守ります。
日本トンネル技術協会|トンネル工法の技術情報(参考:補助工法の種類と適用条件)